芸能インタビュー | かりゆし芸能公演

最終更新日:2026年02月10日

かりゆし芸能公演 インタビュー18

正調正風会赤山正子八重山民俗舞踊練場
代表 赤山正子(あかやままさこ)さん
本村裕美子(もとむらゆみこ)さん、南風野珠里(はえのみさと)さん

3人の写真

かりゆし芸能公演の応募の理由やきっかけについて

赤山正子さん(以下赤山):私は黒島の保里村の出身なのですが、これまで島には結願祭(きつがんさい)をはじめ様々な芸能があったんですね。それが今では過疎になってしまって。私は島の芸能をずっとやっていたものですから、後輩たちにこの芸能を残しながら続けていきたいなという思いで、かりゆし芸能公演に応募しました。
本村裕美子さん(以下本村):黒島の保里というところには踊り手がいなくて、踊りがわかるのはうちの母一人だけという状況なのです。これまでずっと踊ってきた踊りが途絶えてしまうかもしれないので、できれば残していきたいと思っています。ですから、保存・継承の思いも込めての応募ということになりますね。

今回の公演のタイトルに込められた思いをうかがえますか。

赤山:「黒島保里村の民俗舞踊〜島・肝・踊ん(しぃま・きぃむ・ぶどぅん)〜」というタイトルにしましたが、黒島の方言で「肝ぴしち 色ぴしち」という教訓があるんですよ。
「肝(きぃむ)」というのは心から踊りをすること、また「色ぴしち」というのは、みんなで力を合わせてやるという言葉があるわけですね。それで、私は島の踊りを大事に残したいという気持ちで、今度のかりゆし芸能公演でそれができればということで応募しましたので、「肝ぴしち」は心ひとつということ、「色ぴしち」はさまざまな色がひとつになるということで、「心をひとつにみんなで力を合わせる」という意味を込めています。

今回の公演を通して、若手の出演者に先生が期待なさることはどんなことですか。

赤山:私が高齢にもなっているので、若手をしっかり指導して、子どもたちや若い人たちに踊りを伝えてこの先もずっと残していきたいという気持ちですね。今回の出演者は踊りだけだと23人で、そのうち若手が12人います。若手のみなさんに舞台をきっかけに島の踊りをつないでいけたらと思いますね。

これまで若手を育てていくことに携わる中で、難しかったことや工夫なさったことなどをお聞かせいただけますか。

赤山:踊りを教えていても、結婚してやめてしまうというのはありましたね。踊りの面ですと、島の踊りの中で鍬を使うものがあるんですね。私は黒島で畑やそのほかにもいろいろなことをやってきたけれど、今の若い人は畑仕事とかそういう作業は実際にはやっていないので、それがわからないんですね。ただ鎌を持ったり鍬を構えたりしているので、鎌を持つ時や草を刈り取る時にはこんなふうにしてやるんだよとか、しっかり土を耕すために鍬はこう使うんだよって教えるようにしていますね。ヘラもそうですけど、農作業に使う道具の使い方。これは土をちゃんと掘り起こすもの、草をしっかり刈り取るというところから、実際にやって見せる。それをくわしく自分の生徒に教えています。

本村:舞踊に鍬を使うところや、早足で歩く時の所作というか足運びがなかなか難しいので、それができないということと、畑仕事をしている子が少ないので、鍬の使い方もそのままポンと置いて下ろすだけなんですよね。例えば、鎌を持って草を刈る時はちゃんと腰も入れるというような細かい所作もあるので、割とその辺りが難しくてなかなかできないのです。先生は実際にイメージさせる指導と言いますか。「草がこれぐらいの長さだから、上の方だけ刈っても全部刈れないよね」とか、「鍬も下に下ろした時に、土を掘り起こさないといけないけど、掘り起こすにはどうするの?」という感じで、実際にイメージさせて教えていくという指導ですね。やさしいと言われていますし実際に厳しくはないけれども、所作に関しては一切妥協はしないです。

赤山:実際に道具の使い方をしっかり覚えるということね。うちの部落は5分ですぐ海に行けるところなのです。それで海の踊りも多いので、海で貝を採る、魚を捕る、網を使うという所作が出てくる。これはただやるのではなく、貝を採る時はどんなふうにして採るんだよとか。ただまねをすることは誰にでもできるけど、実際こういうふうにしてやるんだよというやり方を教えています。そして覚えたら、そこを徹底して踊りに取り入れてしっかりやっていますね。

本村:舞台でもただ踊っているのではなくて、実際にやっているような仕草を見せるような感じなんですね。細かくはできなくても、やっぱりそういうポイントを押さえています。

これまで八重山民俗舞踊をなさってきた中で、心に残っているエピソードや思い出に残っているお話はありますか。

赤山:黒島では大潮には松明をつけて魚を捕りに行くんですね。それで父ときょうだいと一緒に松明を作り、それを持って海に行く。こういう踊りも消滅してなかったんですよ。だけど、どうしてもその踊りを残したい。でも歌も全然ないものですから、知っている昔の人たちに歌を聞きました。またうちは8人きょうだいで姉がいるので、姉たちと一緒に「こういう手もあったね。こういう振りもあったね」と所々思い出しながら「松明のパレン」という踊りを復元しました。あの踊りはうちの部落でも私しかやっていないですね。自分で調べて歌も起こしてね。松明と網を掬う、いざりの踊りです。

本村:要するに途絶えていた踊りを母が復元したのです。

南風野三枝子さん:黒島には5つの村があるのですが、そのうちの3つの地域に「黒島口説」があるんですけど、全然踊りが違うのです。私たちの母の保里村が長年ずっとやっていたのが、いま琉舞でも基本となっていると思われるもので、同じ所作ですけど全く音源も歌い方も違うのです。母たちはこれまでに姉妹でもう何万回と踊っていますね。それがいま残っているもので、「黒島口説」が有名になったのも母が途絶えさせなかったからなんですね。そして東京の国立劇場に行った時に、芸能関係の先生が「道具は使うのだけれども、そこに魚がいるように見せなさい。そこで魚を釣るといって魚を置いてはダメだよ」ということを言われて、それを私たちは守っています。黒島の踊りでは魚を突く、実際に魚を突くというところもあるのですが、母はそういうことをしっかり毎回言いますね。

本村:釣りに行く時に、網に魚をいっぱいつけ釣りに行くよという踊りがあるのだけど、魚をつけなくても動作で見せなさいと。だからやたらと小道具の網に魚をくっつけないようにということですね。

赤山:でも魚をくっつけないとわからないのよね(笑)私は本土復帰前の1969(昭和44)年に東京の国立劇場に行きました。本土の人からすると黒島の民俗芸能は、初めて見聞きするようなものなんですよね。黒島では家を造るとお祝いがあって、そして三十三年忌の法事として「念仏踊り」 がある。これは家庭で使う道具をみんな持って踊るんですね。この踊りは黒島だけだからということで、国立劇場に持っていってやることになったんです。だけど、島の人たちは本当はきれいな美しい踊りを人に見せたいわけですよね。だから「三十三年忌の念仏踊りをやったら島の恥になるんじゃないの。なんでこういう踊りを持って行くわけ?」って言っていましたが、民俗文化を研究している宮良賢貞先生※1は「これから日本復帰して各島々の民俗芸能が見られるようになると、めいめいの島の踊りや民俗芸能が大事にされる時が来る。だからこれを恥ずかしいからという理由できれいに直さずにそのまま残しなさい」と私は強く言われました。今はみんな自分の島々の民俗芸能を大事にしていて、竹富町は「民俗芸能発表会」というものもやるようになっていますけどね。あの当時は他の人はこういう踊りはしていないものだから、この民俗芸能を私は大事にして、これを直すことなく昔の踊りはそのまま残す。また新しいものは新しくやるという気持ちで今も頑張っています。

本村:母はきれいに直したりはせず、習ったものをそのままやりなさいと言われてきたので、伝わっている通りに継承してさらに伝えていますね。
※1 民俗芸能研究者 1979年『八重山芸能と民俗』根元書房 著者。 

長年にわたって舞台に立ち続けていらっしゃいますが、その原動力はどこからくるのでしょうか。

赤山:小さい時から踊りが好きでずっと続けてきているからじゃないでしょうかね。女きょうだいが多い家庭で育ったものですから、物心がついた時には自然に踊るようになっていたのです。だからいつでも頼まれると、他の人は都合が悪いとなるんだけど、私はきょうだいがいるものだから、さっとぱっとどこにでもすぐ行けました。海外は台湾、ハワイ、韓国、それからヨーロッパ、そしてアメリカのカーネギーホール、中国に行きました。

本村:海外は八重山民俗芸能保存会に所属して、与那国の芸能関係の人たちと一緒に行っていますね。

赤山:与那国も芸能をやっていなかったんですよ。それでうちの先生が、与那国の人たちにも私たちと一緒に民俗芸能をやりましょうと言ってやったのです。そして、東京の早稲田大学名誉教授で芸能を研究している本田安次先生※2をはじめ、研究者の人たちを呼んで見せたら「すばらしい」ということで、与那国はその後、国指定になって頑張っていますよね。韓国は何度も行きましたけれども、アジア芸能祭というものがあって、日本からは本田先生が私たちを連れて行ってくれました。韓国と日本ということで一緒にやりましたけれども、そしたら初めて韓国の人の踊りも見て、「その時にじゃあ石垣にもいらっしゃいね」って言ったら「自分たちは韓国から、石垣に来ることはできない」と言われましてね。あの当時は韓国の人が来るのは禁止されていたので、それで私たちは何回も足を運んで、韓国で交流をしてきました。

南風野:これは40年前、1980年代ぐらいのことですね。

赤山:私の踊りの原点は、父が島の芸能である結願祭などをやる時に、様々なことを教えてくれたり、芸能に使う小道具を作っていたりしたものですから、姉たちの後をついて私も小さい時から一緒に見て覚えるような感じでした。姉たちがいつも一緒にいるものですから、年を重ねると姉たちと「黒島口説」を踊っていましたね。当時は、島では脚半も足袋もたすきもやったりしていたけれど、賢貞先生に「『黒島口説』は民俗芸能で裸足の踊りなので、足袋も脚半もするな」と言われたのです。そのことを私たちは知っていたので、今ではみんな裸足の踊りとしてやるようになっていますね。
本村:だから賢貞先生が裸足の踊りと言わなかったら、たぶん足袋と脚半で踊っていたかもしれないですね。他の2つの地域はいまだに脚半とたすきをしていて、保里だけ裸足で踊っています。今ではもう定番で、石垣でも裸足が認知されてそのように踊られていますね。
※2 早稲田大学名誉教授。

先生の舞踊を始めたきっかけのお話が出ましたが、お姉さんたちとどこかの先生に師事なさったということでしょうか。

南風野:母が黒島の保里村はもちろんですけど、八重山民俗舞踊に関しては東京公演に一緒に行った人たちと踊ることによってどんどん覚えていったのです。母は八重山民俗舞踊保存会の先生から教師免許をもらっているので、母自身が師匠というところですね。

本村:要するに島の踊り手たちから直接習っているんですよ。例えば西表島の「仲良田」とかも本場の地域から習っているので、研究所に通って習っているわけじゃないんですよね。

赤山:その当時は研究所がなくてね。島のおばあさんたちから各島の踊りを直接習っていました。その後にだんだんみんなが研究所をやるようになって、いまは大きく八重山民俗芸能保存会という形でみんなで頑張っているというような感じです。

南風野:だから各島々の踊り手が師匠でしたね。それで、母に常に声をかけて一緒に行っているので、赤山姉妹といってブレイクしておりました。

赤山:私は8人きょうだいの6女なんです。一番上は今103歳になりますね。

本村:今は島の踊りは大事ということで、竹富民俗芸能となっているけれど、当時はそんなふうに思っていないんですよね。今は「島の踊りは勝手に踊ってはいけない」という地域が多い中で、昔はその踊りも踊ってきたので、母は様々な地域の踊りがわかるのです。あの当時は研究所がなかったので、民俗芸能保存会の会長の賢貞先生が島の人たちを呼んで、一緒に習いなさいという流れなんですよね。

赤山:この時は西表や与那国の人たちを呼んで、私たちと一緒にどこかで公演をする。直接習うということはできないけれども、公演に一緒に行く時にこの人たちと踊って覚えるという感じでした。自分が行って習ってくるとかではなく、直接島の人を呼ぶということですね。

本村:その当時はビデオテープやカセットテープがない時代だったので、遠い島から来ているから、1回忘れたらもうそれっきりなので大変だったと言っていました。

赤山:もう本当に次は習えないんですよね。だから夜寝ている時も私は踊りのことを考えていて、歌も初めて聞くからわからないので「うーん」って言いながら。足と自分の記憶している曲が合わなかったら、夜中でも飛び起きてやっていました。ご飯を炊きながら焦げないようにしながら踊ったり、もうどんな時にも踊りをしながらでしたから。そんなふうにして、私はいろいろな踊りを覚えてきました。こんなに盛んになるとかっていうことよりも、覚えることに必死でしたね。だから私は寝ても起きても踊っている(笑)。

本村:あの当時は西表島まで行くのにポンポン船で4時間かかっていたから、さっと行ってぱっと習ってという時代ではなかったので、それで体に叩き込んで記憶と体で覚えていたんですね。だからもう忘れたら最後。教えてくださいというのはできないので大変だったと思います。

赤山:父からいろいろ聞きながらやっていましたが、八重山民俗芸能保存会の会長で教員だった賢貞先生が黒島の学校に赴任した時に、各島に転勤して知り合ったいろいろな人を呼んで、私に一緒にやりましょうって言ってくれてその機会に覚えましたね。今は研究所があるから行けばすぐ習えるし、ビデオもあるのでそれを見ることもできる。あの当時はテープも何もなくて、やっと後から丸いテープが出てきましたよね。

本村:オープンリールのことですね。

赤山:だから頭で覚えても歌詞もわからないから、ん〜ん〜ん〜って鼻歌を口ずさんでね。そうしながら覚えてきて今があります。踊りがずっと好きだから、あちこちに公演に行く時は子どもたちを姉や妹に預けたりしながらでしたね。ずっと休むことなくずっと踊りを続けてきました。

今年度のかりゆし芸能公演では唯一の八重山舞踊の分野になりますが、どんな方に公演を見ていただきたいですか。

赤山:私の部落の踊りは、結願祭も何もないから見る機会もないので、島の人もそうですが、多くの人に黒島の芸能を見てほしいという思いです。それをまた私は後々までも残したい。そういう気持ちで、このかりゆし芸能公演に臨みます。島の人たちも長いこと結願祭の踊りを見ていないので、島の踊りは懐かしいんじゃないかなと思いますね。

本村:行事も今は本当にないんですよね。だから島の人たちに一番に見てもらいたいですね。

八重山民俗舞踊の魅力はどんなところでしょうか。

南風野:八重山の踊りはそのほとんどが神様へ感謝する、島の繁栄を祈る奉納舞踊なので、自分たちのルーツというか、島に対する思いがそのまま踊りになっているんですね。エンターテイメントではなく、本当に土臭い、島臭いというか島ならではというところが魅力なんじゃないかなと思います。私たちも何十年と踊りをやっていますけど、本当に一つ一つやっぱり母にはかなわないです。高齢になって「所作にそういうのが出るのがいやだから」と言っていますけど、踊ってほしいのでいまだに現役で立ってもらっていますね。この祭りの熱気からくるちむどんどんというか、あの時の結願祭はこうだったねというのを思い出しながら私たちに教えるとおのずと気持ちが入るので、同じところを何十回もさせるんですよ。そこが厳しいですね。それぐらいこだわって伝えていかないと今は難しいですよね。島に残っている島ならではの踊りが魅力です。

赤山:でも踊りは好きなんだけれども、なんていうかな。親たちがやっていた畑やら海、生活するのに必要なこと、生活と密着していることを表現しているのが魅力だと思いますね。

舞踊を習うようになったきっかけ

本村:入門したのは小さい時なので、いつなのか記憶がないのですが、娘なので自然と習うようになりましたね。母がとっても厳しいので、小さい時は踊りたくないって思っていましたね。やっぱり小さい時って、踊り手が少ないのもあって、いろいろなお祝いに呼ばれて母と一緒に私も踊るんですね。だけど夜も遅いし眠いしでこれが嫌でした。やっと妹が踊れるようになった時、よかったって思いました(笑)。だけどやっぱり踊りを続けていくと、基本的に足腰に筋力がつくんですよ。うちの母は2年前に左の大腿骨を折って、手術して針金が入っているんですけど。いまだに健在で歩けて踊れるというのは、やっぱり小さい時から踊りで培った筋力だと感じていますね。やっぱり踊りのちょっとした所作は難しい、厳しいです。扇子を持って5歩前に行くのも、母は15分ぐらい何回も練習させる。
こればかりさせられてうんざりすることもありましたが、今まで続いているというのは、踊りを通して海外のいろいろな国に行くことができてたくさんの人たちとも出会ったし、旅行では行けない地域の人との交流はとても魅力的だったんですね。何年か前に芸能のオリンピックと言われている催しを韓国が主催した時に参加したんです。各国からたくさんの人が来ていて、パレードの時にみんな華やかなドレスとかを着けていたんですけど、私たちは茶色い着物で目立たなくて、赤い着物を着てくればよかったと思うほどでした。やっぱり土の踊りは素朴なものなのだなと感じました。

南風野珠里さん:私は記憶はないのですが、母と一緒に初めて舞台に立ったのが2歳の時でした。私も孫なのでその時からずっと続けてきましたが、嫌々ながらというわけでもなく、そのまま28年間続けてきたので、何をきっかけに入門したというわけではなく、踊りが好きで自然にずっとやってきたという流れで今も続いています。私も黒島の豊年祭などによく出ていたりもしていて、ずっと踊りに携わってきたので、大変というよりも楽しいということが一番にきていた方なので。やっぱり人も少なくなってきてはいるんですけど、八重山には踊りいろいろな祭りごとがあるので、それに参加できることのありがたさと、あと自分が守っていかないとなっていうのを常に思いながら立っているので、楽しさが一番大きいですね。そう思って踊ることを心がけております。

本村:たぶん彼女はきっかけというのはなくて、私なんかが踊っているそばで小さい時から見ているので、いつの間にか踊り始めた時に、この手をこうやって歩く仕草がなんかおばあさんみたいだなって話していたのだけど。後で考えたら「黒島口説」の踊る場面をやっていたということで、だから本人は気づかないけれど、無意識に踊りの所作が入って踊っていたはずというぐらい自然な感覚なんですね。それに加えて竹富と黒島と川平の古い地域にも携わっているので、やっぱり切っても切れないのです。

南風野:そうですね、祭りごとが多いところに生まれたもので、父の出身が川平でじいちゃんが竹富だったので、豊年祭・結願祭と毎年行っていました。それもあって自然と日常生活の中に祭りごとがあったんですよね。

おふたりからご覧になった赤山先生はどんな存在で、どのように感じていらっしゃいますか。

本村:私が小学校ぐらいの時に踊りを教えてもらうと、1か月後とか次に踊る時は忘れてしまっているんですね。だけど母は覚えていてどんな踊りもすいすい踊るので、あの当時とってもうちのお母さんの頭の中ってどんなふうになっているんだろうって不思議に思ったこともあります。忘れることもなく、どんな踊りもポンポンって音楽を聞いただけですぐ踊れるんですよね。やっぱり母は体に染み込ませて「今覚えないと忘れたらこの踊りは終わり」という意識で踊ってきて、私は忘れたら教えてもらったらいいやという意識ですから、まったくそこが違うなというのを感じますね。だからちょっとした所作も、何度も何度もくり返しているので、私なんかは1回やったきりで終わって「忘れた。教えて」みたいな感じになった時にいつも怒られるんですよね。だからそこの基本が違うので、やっぱりこの培った覚え方とか、体で覚えるというのが違いますね。うちの母と妹は踊りもやっぱり基本的に型ができていると思うんですよ。だから覚えたらすぐ舞台に出れるような踊りなんだけど、私らを含めお弟子さんなんかは、覚えたらそこから所作の直しが入ってくるので、だからそこの違いだと思いますね。だからすごいなと思っています。

赤山:特に私が生徒たちに教えてあげるのは、「黒島口説」なんですね。もうこれは沖縄本島のあちこちでみんながやっているけれど、本番の「黒島口説」の5番は、なんていうのかな。月夜の晩に砂浜に陸の蟹が降りて来るんですね。あの当時は食べ物もないから食べるために蟹を取りに行くわけです。そしたら蟹が来るとすぐに手を挟まれて、これがとにかく痛くて、ああ痛いっていう、この仕草がこの黒島口説にもあるんです。そしてうちの姉が島にいる時に「黒島の蟹を見たいけど、どの道を行けばいいですか」って聞かれたものだから「ああ、向こうに行きなさい。そしたら蟹が出てくるよ」って教えてあげたらしいんですね。そしたらしばらくしてその人が戻ってきて「いや、蟹いませんでした」って言ってきたのでカレンダーを見たら、明日だったのだそうです。旧暦6月の13、14、15日って決まった日にちがあるんですね。それで明日だよって言ったら「黒島の蟹はカレンダーがわかるんですか」ってその人が言うものだからおかしくて大笑いになったそうです。黒島の蟹は浜へ卵を洗いに行くために、月夜にいっぱい出てくるわけですね。それで蟹を見つけてたくさん取らないといけないって言って取ろうとすると、蟹はもうはっさびよーって大慌てするので、この爪を折ってね。大きい爪と小さい爪をみんな取って捨てて、洗いながら帰るわけです。翌日学校に行く時に蟹を何個取ったって、これを私たちは言いながら歩くのだけど、本当に「黒島口説」にあるように蟹の挟む力というのはすごいですよ。だからこれがそのまま歌になっているわけですね。

本村:この話は5番にありますね。それでこう噛まれて痛いという仕草もあります。

赤山:お母さんのことを黒島はあぶって言うんです。だから「お母さん、痛いよ」って所作で表すところが歌になっているんですけど。島の歌ってすごいですよね。

南風野:私から見たおばあちゃんは偉大ですよね。この年まで現役で踊り続けるのはすごいことだなと思いますし、やっぱりおばあちゃんがいろいろな地域から教わって継承してくれたからこそ、自分たちが踊れるというのもあるので、本当に偉大さと感謝という気持ちがあります。

今後の目標や公演への意気込みなどうかがえますか。

本村:うちの母は常日頃から、自分が亡くなったら踊りは終わりだ、習ってきた芸能はもうこれで終わりだからと言うんですね。やっぱり私たちもかなりいい年齢になってきたので、だからこそまだ教えてもらっていない様々な踊りを教えてもらって、その踊りをこれから後世に残していきたいという思いがあります。今回の公演本番では、母を中心に若い子たちが踊りの所作や楽しさなどを感じながら、舞台で表現する姿を観客の人たちに届けられたらいいなと思いますね。

南風野:これからの目標は今年教師免許をいただいたのですが、島を離れてあまり踊れていない期間があって、全然島の祭りにも参加できていなかったんですね。踊りたい気持ちはあるんですけど、那覇に住んでいるのもあっていろいろできなかったので、先生から教わったことをOKをもらえるまで踊り続けていたいというのが一つあります。もう一つは以前あった石垣での発表会の時に、ばあちゃんが大事にしている踊りの一つである「仲良田」を3人で踊ったんですよ。私は練習期間もそこまでないまま本番で、みんなからはよかったよって言われたんですけど、自分自身は踊りに対してまだまだ納得いってなくて。2人の背中を見たらまだまだだなと感じ取れたので、追いつけるように日々鍛錬したいなと思います。今回の公演の意気込みとしては、お弟子さんとして私よりも下の世代の子たちがどんどん入って来てくれているので、その子たちと一緒に切磋琢磨しながら先輩方についていけるように頑張っていきたいのと、みんなでかりゆし芸能公演を成功させたいなと思っています。

今回の公演で披露される演目の見どころはどんなところですか。

南風野三枝子:黒島保里村の芸能の他に八重山の古典舞踊や、創作舞踊を取り入れていますので、見どころ満載かと思います。沖縄本島だと「長者の大主」という演目がありますよね。結願祭で最初に必ずやる演目なのですが、初の番と書いて「すばん」と呼んでいます。母が長老役をやる予定です。口上の語りをしっかり残していくためにやってちょうだいとお願いしました。琉舞の先生や琉舞をやっている方たちにもいっぱい見に来てほしいですね。

赤山:琉舞は型にはまってこうやるけど、八重山の踊りはまあるくなので、扇子も使い方が全然違いますからね。そういうところも見てほしいなと思います。

取材日:2025年11月6日(木)
取材場所:(公財)沖縄県文化芸術振興会 会議室

プロフィール

赤山正子(あかやままさこ)

正調正風会赤山正子八重山民俗舞踊練場 代表
〈経歴〉
昭和11年竹富町黒島生まれ。
昭和33年「八重山民俗芸能保存会」宮良賢定会長(民俗学者)に師事し、昭和44年国立劇場にて第6回民俗舞踊公演「黒島口説」を披露。昭和46年教師免許を取得し、同年に赤山正子八重山民俗舞踊練場を開設。以降、国内外の舞踊公演において八重山民俗舞踊を披露。平成1年師範免許を取得。平成9年石垣市より市政功労賞を受賞した。
現在、正調正風会 会主として石垣市並びに竹富町において後継者の育成に尽力し、県内外はもとより海外など、現役で公演に出演している。




本村裕美子(もとむらゆみこ)

正調正風会赤山正子八重山民俗舞踊練場 師範





南風野珠里(はえのみさと)

正調正風会赤山正子八重山民俗舞踊練場 教師


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