芸能インタビュー | かりゆし芸能公演

最終更新日:2022年2月7日

かりゆし芸能公演 インタビュー10
二代目渡嘉敷守良道場 渡嘉敷守良(花岡勝子)さん

-渡嘉敷流について、また二代目渡嘉敷守良道場の活動状況についてお聞かせください。

渡嘉敷守良先生(以下守良先生):現在、沖縄の道場に33名、横浜支部に9名が在籍しております。下は5歳から上は89歳までのメンバーですが、中でも89歳、88歳、85歳の先輩方は約40年間も道場に通って下さっています。皆さんお元気で、週1回のお稽古をとても楽しみにしてくれています。
渡嘉敷流は、御冠船踊の正統派の舞踊家として活躍した初代渡嘉敷守良師(1880〜1953年)の伝統の型を継承しています。初代守良師は、玉城盛重師(1868〜1945年)、新垣松含師(1880〜1937年)と並ぶ古典舞踊家であり、女踊の名手ともうたわれました。私は、2001(平成13)年に沖縄県の琉球舞踊保持者に認定いただき、2017(平成29)年に二代目渡嘉敷守良を襲名させていただきました。これまで、かりゆし芸能公演はじめ自主企画の公演を行い、微力ですが、渡嘉敷流の継承と琉球舞踊の発展に努めてまいりました。


-昨年11月のかりゆし芸能公演「打ち晴りてぃ遊ば」では、フィナーレの創作舞踊「世の中、銭」でお客様を巻き込み大変な盛り上がりでした。

守良先生:今回は、お客様がせめて舞台を見ている間だけでもコロナのことを忘れられたらいいなと思って。ユーモアいっぱいの創作舞踊「世の中、銭」を軸に、とにかく見る人も出演者も、皆が楽しめる公演にしたいとプログラムを構成いたしました。
と言いますのも私自身、2020年3月15日に独演会を予定していたんです。弟子たちが構想してくれた初めての舞台でしたので、身を引き締めて稽古に励んでいたところだったんですが…。二度延期した上に、結局中止せざるを得なくて…。コロナの影響でほとんどの舞台が中止になってしまい、急に時間を持て余したんです。たっぷりできた時間の中で自然と、琉球芸能の未来や世界の平和などについて思いを巡らせていきました。
その中で創作したのが「世の中、銭」。舞台ができなくなり、特に若手の皆さんが困っていましたから、彼らの心労を思うと何だか辛くて…。ましてや若い皆さんは子育て真っ只中!子育てはお金もかかるし本当に大変だろうな…と。そういう中で歌詞を書きあげて、「世の中銭、ぬーしんじん」(何にしたってお金だよ)の台詞ではじまる作品へとなっていったわけです。


-客席から手拍子が湧き、笑い声もあがっていました。先生の狙い通り、元気を受け取った方がいたと思います。

守良先生:公演をみた小学5年生の子が、「最初から最後まで寝ないで見たのは初めて!」と言っていたそうです(笑)。また終演後、「老人ホームの皆さんと一緒に歌いたいので、公演のビデオをいただけませんか?」と声をかけて下さったお客様もいたそう。少しですが、皆さんへ元気を届けることができたのかな。


-若手実演家が活躍していますが、若手の活躍にどんな印象をお持ちでしょうか。

守良先生:私はもう万歳したいくらいに嬉しい!皆さん色々な作品に挑戦して、どんどん新しいものを作っていますでしょ。立方、地謡、ともに才能に溢れていると思います。
今回、地謡で参加いただいた若手の皆さんも、創作舞踊「世の中、銭」の音楽を稽古の場で即興的に組み立てていったものですから、聞いていて脱帽でした。琉球舞踊は「ちるくんぴてぃもーれー」と言います。「ちる」は音(弦)のことで、音を踏んで踊りなさいという意味。それくらい音楽が大切なんです。これは創作舞踊「世の中、銭」に限ってですが、踊り手は地謡に遅れをとっていたと思いますよ。そんなに上手くなくても踊り手が真剣に踊っていたら、地謡も真剣に弾けると思うんです。そういう踊りを踊れるようになって欲しいですから、踊り手には本番直前まで「地謡に負けてるよ!」ってハッパをかけていました。
活躍の一方で、私の杞憂に終わればいいのですが、新しさを求め過ぎる余りルーツを忘れてしまっているのでは、と思うことも…。昨今は有り難いことに、流派を超えてご指導いただける環境が整ってきましたから、本当にそれは素晴らしいことだと思います。その有り難い環境があるからこそ、より「自分の踊りのルーツは何なのか」という根っこの部分を、もっともっと深める必要があるのではないかとも思います。


-若手の皆さんを指導する際、先生が大切にしていることはどんなことでしょうか。

守良先生:今の若い方たちは、うちなーぐちがわからないので、指導の際に難しさを感じることがあります…。ですから、歌詞の意味や背景、踊りに含まれる要素についてなどを丁寧に解説するよう心がけています。その一貫として不定期ではありますが、1つの舞踊について深く学んだり、扮装を実践して学ぶ勉強会を行ってまいりました。現在はコロナの影響でお休みしていますが、年明けから再開しようと計画中。私が元気なうちはこの勉強会を続けていきたいと思っています。
初代渡嘉敷守良師のお話に戻りますが、先生は、踊りの細かい動きを30年余りかけて記録に残しておられます。手書きなので読むのも難しいのですが、先生は、時代とともに変わっていく琉球舞踊を憂いていらっしゃったんだと思います。この貴重なノートが存在するものですから、渡嘉敷流はどうしても他流派と異なるところがあるんです。
違いを挙げますと、つま先を一寸跳ねる「波足」、古典女踊では「ガマク」(腰)をほとんど使わないなど。また男踊りは伸び伸びと手を広げますので、他流派の皆さんとご一緒する際はこの特徴を抑える必要があって…。ですが、この違いこそが沖縄の芸能の多様性だと思いませんか!私たち渡嘉敷流は小さな支流かもしれませんが、たくさんの支流が合流して「琉球舞踊」という本流をつくり、文化という大海に流れていく。ですから私たちは「渡嘉敷守良の流れだ」という誇りを強く持っていますし、より初代守良の心と技に近づけるよう今後も精進していきたいと考えています。
少し熱く語りすぎましたね(笑)。でも本当に、このインタビューを通して弟子たちには、「渡嘉敷流に来てくれてありがとう」と感謝を伝えたい。お陰様で弟子も育ってきております。私はもう76歳ですから、「いつ天国へいっても大丈夫だね」という気持ちで弟子たちと日々向き合っていきたいです。


-今回の出演者は全員女性でした。女性舞踊家として活躍されてきた守良先生ですが、子育てと舞台活動を両立するのは大変だったと想像します。若い皆さんのヒントになると思いますので、先生の子育て経験をお聞きしてもよろしいでしょうか。

守良先生:女性にとって、出産、子育て、という道は避けて通れません。現在活躍されている先生方も、皆さん大変なご苦労があったと思います。
例えば、リハーサルや本番がある日。誰が子どもを保育園へ送るの?誰が迎えるの?迎えた子どもに誰がご飯をあげるの?細かい話ですけれども、まさに毎日がこれとの戦い(笑)。家族の理解なしには舞台へ上がれないんです。
私は1968(昭和53)年、33歳で道場を開きました。幸い元気だった母に子どもたちを預け、舞台に立ってきたのですが、預ける時に子どもに泣かれると後ろ髪を引かれてね…。もう舞台に出ないでもいいかなぁ…そう弱気になったこともありました。将来的には、公演中にお客様や出演者のお子さんを預かる託児サービスを準備するなど、環境を少しずつ整えていく必要もあるかと。今まさに子育て中の皆さんには、とにかく諦めずに頑張りなさい!と応援してあげたい。

-二代目渡嘉敷守良道場が目指す舞台や夢についてお聞かせください。

守良先生:やはり若手の育成に力を注ぎたいです。これは持論ですが、師匠の仕事は、「弟子を良い舞台に立たせること」に尽きると思います。ですから私は、自分自身が持っているものを惜しみなく全て弟子に渡していきたい。残された時間、弟子たちと一生懸命稽古に励み、お客様、踊り手、地謡、全ての人がひとつになれるような舞台をつくってまいります。

-守良先生がこれまで舞台に立ち続けてこられた原動力とは何でしょうか。

守良先生:実は私、沖縄戦の真っ只中、昭和20年4月20日に生まれました。私の家族は山原に避難していたそうで、ある農家さんのヤギ小屋を貸していただき、そのヤギ小屋で生を受けました。自分のことですが、この命ってすごいでしょ!無事に生まれた後もずーっと戦争中ですから、アメリカ軍が近くを通る時は「勝子が泣いたら終わりだ」そういう危機が何度もあったそうです。なので防空壕には入らずに、岩影に身を寄せて家族でなんとか生き延びて今の私があるんです。それを思うとね、体中から力が湧いてくるの。そして、なんといっても「平和」。生かされた命であり、平和の証人である、ということが琉球舞踊を続けてきた原動力の一つです。
私は、なぜ「渡嘉敷流」とご縁ができたのかをいつも考えてまいりました。勝手ながら、「あなたが渡嘉敷流を守るんだよ」と使命感を与えられたような気がしていますし、この使命感があるから、やらなければいけないんです。先師・先達の皆さんが残してくださった素晴らしい沖縄の芸能を、しっかり継承していかなければいけないですから、今以上に、他流派の皆さんと切磋琢磨していきたい。皆さんの力もお借りしながら、一緒になって、琉球舞踊界全体で若手を育成していけたら嬉しいです。

-先生の熱いお気持ちを、若手の皆さんがどう受け取り継承していくのか。すごく楽しみです。どうもありがとうございました。

取材日:2021年11月26日(金)
取材場所:二代目渡嘉敷守良道場
(※写真撮影のためマスクを一次的にはずしていただきました。)

プロフィール

渡嘉敷守良(とかしき しゅりょう)

渡嘉敷流家元
沖縄県指定無形文化財芸能保持者

昭和20年疎開先の山原で生まれる。7歳で新垣文子琉舞道場へ入門し、安謝十五夜祈願祭等に出演し、芸の道を歩み始める。昭和50年二代目家元渡嘉敷守章、玉城須みおに師事、昭和53年教師免許を取得。同年、地元安謝に花岡勝子琉舞道場を開設。平成2年師範免許を取得。平成7年渡嘉敷流あけぼの乃会設立。平成9年初代渡嘉敷守良の直弟子 平良リエ子に師事。平成13年県指定無形文化財芸能保持者へ認定され、平成17年には琉球新報社芸能コンクール審査員に任命される。平成29年二代目渡嘉敷守良を襲名。令和元年沖縄芸能連盟功労賞を拝受。現在も後継者の育成や舞台活動を精力的に続け、今年芸歴70周年を迎える。

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