芸能の道へ入ったきっかけや道場設立についてうかがえますか。
新城園美さん(以下新城):小学生の時に、母が「娘は踊りができたらいいな」と思ったのがきっかけで、親泊流八重の会の平八重子先生のお稽古場に連れて行ったそうです。当時のことは覚えていないけれど、10歳から始めて休まずずっと続けて今に至っています。お稽古場を開設したのは25年前です。名護の親川という地域でお稽古場を構え、令和元年に地元の振慶名に新たにお稽古場を建てました。
お稽古場を構えたきっかけは、教師免許をもらったタイミングで家族に急かされたんです。当時は会社勤めだったし子どもも2人いるので「無理だ」と思いながらも「やらなきゃ」という感じで道場を開きました。5年ぐらいは会社勤めと道場での指導を掛け持ちしていましたが、当時はまだ道場を開いて間もないから生徒も少なかったので、週2回道場を開けて、仕事も子育てもしながらという感じでした。母が病気で倒れたのを機に、健康が一番だと感じて会社勤めを辞めて踊り一本でやっていく決心をしました。私は教えることが好きなので楽しくやってきたこともあって、モチベーションが下がることなくこれまで続いてきたのかなと思います。
踊りの稽古だけに専念するようになってからは、昼間も稽古時間を設けて週4日ぐらいのペースで稽古をしていますね。稽古場には3、4歳ぐらいの子から年配の方も結構いるので、年齢層が幅広いですね。今は40人いますが、一番下が今4歳です。80代の方の中には、道場がオープンした時から来ている方もいるので、途中で休んだりしながら25年ぐらい続けているかもしれませんね。健康のため明るく人生を楽しむために踊りをやっている方と、専門的に技術を身に付けたい方とそれぞれいるので、その人に合わせて指導をしています。
お稽古は基本的には50分から1時間以内で、あまり長くはしないようにしています。その代わり、週に2回行っています。稽古場に2時間ぐらい拘束されるとなると、なかなか続かないのかなと思って。学生の子たちも部活や塾などもあるので、短時間で集中して稽古して、長くても1時間半くらいですね。「帰りなさい」と言っても帰らない子もいますけど(笑)。
師匠である平八重子先生の稽古や教えはどのようなものだったのでしょうか。
新城:すごくきれいで優しさもありながらも厳しい先生だったと思います。辞めたいという気持ちはあまりなかったですね。
先生は厳しさの中にも温かさがあって、何かあったらすぐ「ハグしよう」って言ってくれます。孫弟子がコンクール受験に合格したとか何かの時には、ハグして泣いて喜んでくれますね。
かりゆし芸能公演への応募理由やきっかけをお聞かせください。
新城:私たちは、名護市内での公演は出ていて舞台に立つチャンスは結構あるのですが、名護市外での機会があまりありません。国立劇場おきなわは公演を見に行くというスタンスなんですね。できれば「国立劇場は公演を見に行く場所ではなく踊る場所で、あなたたちも舞台に立てる」ということを感じてほしくて、まずはかりゆし芸能公演で舞台に立たせてあげたいなという思いがありました。中学生、高校生と若手も育ってきているので、時期的にも今が一番いいかなというところで、伸び盛りの子たちを少しでも良い舞台に上げたいなという思いで、初めて応募してみました。そしたら、受かったので、みんなドキドキ、ワクワクしていますね。
公演の内容や工夫したことについて教えてください。
新城:今回の公演に出演するのは、新人賞※1に合格した中学3年生から教師までの16人が参加します。一般的に琉球舞踊公演でよく踊られる「稲まづん」「加那よー天川」などの演目も含まれていますが、創作舞踊も入れて構成しています。八重子先生が創作した男女の打組舞踊の「かたみ節」や、私が創作した「山原炭焼ちゃー」など、普段は名護だけでしか発表されていない演目も「せっかくだからかりゆし芸能公演でできたらいいね」ということで、今回演目に入れています。みなさんが楽しめるように、わかりやすい演目で構成しました。
※1 県内新聞社が開催する「古典芸能コンクール」の各部門に関する賞のこと。
本番に向けて取り組んでいることや、今回のかりゆし芸能公演を通して若手の出演者に期待しているところはどんなところでしょうか。
新城:期待するところはとても大きいです。彼女(八木百李さん)も今回優秀賞※2を受賞したので、踊り方にも大きな変化があって、お姉さんたちのような踊りに近づいてきたなと感じます。高校1年生や中学生というのは、新人賞の時期のかわいい感じの踊りが抜け切れていない部分もあります。大人になりかけているところもあるので、今回のかりゆし芸能公演の舞台を成功させるために、一生懸命お稽古するうちに、変化するいいチャンスになればと期待はしています。
新人賞でももちろん踊りに変化はあるのですが、型にはまった硬い踊りになりがちで、あまり伸びやかではないんですよ。「基本、基本」と言われて稽古するので、基本の中で踊ろうと余裕が出ないのかもしれません。優秀賞を取った後ぐらいから、基本を押さえられるようになり、余裕が出てきて踊りが大きくなったり、歌の意味を理解して演目の雰囲気を出せるようになるという感じなんですよね。彼女(八木百李さん)がいまそこにいるので、割とうまい具合に育ってきているなと思うんですけど、ステップアップするにつれて、少しずつ自信と余裕が生まれることで、次の段階に意識が向くようになるんでしょうね。
公演に向けて重点的に取り組んでいることは、お稽古時間を全員まとめて行っていたものを最近は、演目ごとに30分くらいずつでスケジュールを組んで、グループ分けして集中してお稽古するようにしています。演目ごとのお稽古に分けたことで、生徒たち自身も「今日は私の稽古時間だ」という緊張感や自覚を持って来るので集中できると思います。
※2 ※1同様。
かりゆし芸能公演は若手実演家の育成を目的として、年齢構成比率を要件に実施していますが、若手育成の難しさ、やりがいについてお聞かせください。
新城:私はうーまくー(わんぱく)も大好きで、自分を主張する子が好きなんですね。だから厄介だなとか大変だとかは全く思わない。みんな学校や部活は休んだりするけど、お稽古場にはちゃんと来てくれる、私にとってはいい子たちなんです。だから教えるにあたっての苦労とか、モチベーションを上げるために特別に何かをするとか、そんなことは全くしてこなかったんです。みんなが上手になっていく過程を見るのがとても好きなので。行儀が悪い時は、怒ったりもしますけど。3、4歳から道場に来ている子たちが多いので、家族みたいな感じになってしまって、稽古場に来ても寝そべっている時があったりするんですね。さすがにそんな時は「ここは家じゃないでしょ」と注意するけど、そんな時ぐらいですね。小学校5年生ぐらいから女の子は難しくなることがありますが、25年道場をやっているので「あ、反抗期来たか」と思います。お姉ちゃんたちもみんな通ってきた道なので、ゆったり構えていますね。
みんなが育っていく姿や舞台をこなして上手になっていく姿を見るのが私自身幸せなので、それでずっと指導を続けているのかもしれません。毎年、稽古の成果を披露する「おさらい会」を小さいホールで開いていて、生徒たちの家族や親戚が200人程度来てくれるんです。大きな市民会館でやる発表会は4、5年に1回ですが、おさらい会は毎年するんですね。そのたびに自分で教えたのに「すごい!こんなに上手になって」と感激しています。おさらい会のたびに難儀しながら開催するものだから「もう来年はやらないでおこう」と毎年言いながら、終わる頃には「来年も頑張ろうね」と言っている自分がいて、数えると23回目です。
指導する時に気をつけていることはどんなことでしょうか。
新城:稽古を長時間にしないというのは、稽古場を始めた時からずっと心がけています。私たちが習った頃は、同年代の皆さん同じかと思いますが、先生が踊るのを見よう見まねで踊ってきたという感じでした。このお稽古のスタイルが私自身大変だなと思ったので、私は「今日は一番だけやろうね」とか区切って教えるようにしています。弟子たちも覚えたという自信になると思うんです。だから覚えたかどうかを確認しながら、あまり無理をさせないようにという感じで教えていますね。みんな忙しいので、継続できるようにということを一番に考えています。
子どもたちのモチベーションを維持し、継続して舞踊を続けていくために工夫していることなどありますか。
新城:大学進学等で県外に行くとなると、そのまま続けられなくなる子たちも出てきます。今は携帯でつながることもできるので、お休みしている子たちがこれから琉舞を続けるかどうかわからないけれど、それでもずっとつながっています。携帯の連絡グループワーク内で「2人目が生まれたってよ」「3人目が生まれたってよ」というような感じで近況報告をしたり、10年会っていなくても親御さんに会った時に「どうしてる?」と話したりすることでまだつながっている感じですね。いつかまた琉舞をやるかもしれないという思いもあって「私も頑張って道場を続けておかないと」と思っています。休んでいる人もいっぱいいますが、また戻ってきてくれる子もいるんです。子どもがいても県外で仕事をしていても、稽古場に戻ってきてまた再開して優秀賞を取った子もいますし。親戚よりも濃い関係かもしれないので、つながりがあることがみなさんのモチベーションにもつながっているのかもしれません。
長年指導に携わるなかで、先生ご自身のモチベーションを維持するために心掛けていること、指導するにあたって大切にしていることをお聞かせください。
新城:道場にいる時が一番楽しいのかもしれないです。稽古や舞台が終わったから安心したという気持ちよりも、道場でお稽古をして踊りを見て指導して「ちゃんとできたな」って確認できた時の方が楽しいんですね。だから舞台の後にほっとするというより、稽古場にいるのが割と楽しいんです。たまに稽古が終わっても帰らない子たちがいて、何か相談したいのかなと思うことがあるので「相談がある子だけ置いて帰りなさい」と声をかけて、ちょっと残ってお話したりもするんですけど。たぶん親にも言えないことを相談してくれるので、大したことは言えないけどね。
指導に携わってきて心に残っている出来事や忘れられないことはどんなことですか。
新城:道場の開設25周年を記念して今年5月に発表会をやったんですね。その時に「かぎやで風」と「黒島口説」を出演者全員で踊ったんですよ。その時にみんなで踊ったときはとても感動しましたね。みんな仲間意識がすごくあるので、私は全員で踊ることに意義があると思っていて、最初と最後は全員で踊ることにしました。弟子と共に踊れてうれしかったです。
指導に携わる中で大事にしているのは、人として魅力ある人になってほしいなというのがあります。琉球舞踊を通して礼儀作法をはじめ、さまざまなことを勉強できますよね。着物を畳むこと、帯を締めることなんて普通はできないことをできるというのはすごいし、琉球舞踊を辞めてもその子の魅力や力にはなると思うので、ここに通っている間に自信を持てる人になってもらいたいなというのはありますね。言葉で伝えるというよりは、行動で教えるようにしています。小学生でも「着物を畳んでごらん」とか「帯の結び方をやってみなさい」とか声をかけながら。「着物を畳むことができないと連れて歩けないよ。楽屋にも連れて行けないでしょう」と言ったら、一生懸命畳むし。できることが増えるとやっぱり人は自信になると思うので、私ができることは踊り以外でも教えてあげたいですね。
親泊流桜羽会の特徴や特色について教えてください。
新城:家族みたいです。それはどこの流派にもない特徴だと思うので、大事にしたいなと思っています。私はお母さんみたいよね。「今日は稽古だけど連れて行く人がいない」という生徒を家まで迎えに行ったこともあります。私は上に立つにはあまり自信もないから、楽しくやってきて、今の雰囲気になっています。生徒たちも舞台に立つと、踊りがうまくできた時の満足感や達成感でたぶん気持ちよくなっていると思うんです。そういう感覚もわかるから、厳しい稽古にも耐えられるんじゃないかな。楽しい道場ですが、ちゃんと厳しい時もありますよ(笑)
親泊流桜羽会新城園美琉舞研究所としてのこれからの目標や新しく挑戦したいことはありますか。
新城:研究所としては、活動の場を広げたいです。今、教師※3が4人いるのですが、教師の子たちがお稽古場を開いたりとか、もう少し活動の場を広げてくれるともっとうれしいなと思うんですけど、まだお稽古場を持つという子が1人なので頑張ってもらいたいなという思いはありますね。私の目標としては、40歳以来自分のリサイタルをやっていないので、還暦に独演会をできるように頑張ります。
※3 踊りの教師免許を持っている人のこと。
琉球舞踊を始めたきっかけをうかがえますか。
宮里千穂さん(以下宮里):4歳から習い始めたのですが、物心がつく前だったので当時のことはあまり覚えていません(笑)。
新城:彼女は道場を開いて2、3か月ぐらいの頃から来ていると思いますね。
宮里:舞踊を25年続けてきましたが、学生や独身の時は学校よりもバイトよりも何よりも踊りを中心に生きていました。踊りの時間を後から作るというよりは、踊りの時間がメインであって、その後にバイトを入れるという感覚でしたね。踊りがおもしろいとか楽しいという感情よりは、稽古に行くのが当たり前だったので「この時間は稽古があるから遊べないよ」みたいな感じでした。興味があるから没頭してここまで続いたと思うので、踊りが好きなんだと思います。コロナ禍に出産したのですが、先生から「そろそろおいで」と連絡をもらったことや、稽古場も少人数でのお稽古を再開していたので、産後に復帰して今に至っています。
八木百李さん(以下八木):私も3歳の時に始めたので、その頃のことは覚えていないんですけど。おばあちゃんからよく聞かされるのは、一緒に公演を見に行くと「お姉ちゃんたちキラキラしているね。私もそうなりたい」と言っていたみたいなんです。そこから舞踊を始めて、気づいたら今みたいな感じです
宮里:みんな当たり前のように稽古場にいますね
八木:千穂姉ちゃんの話を聞いていて、ああ確かにって(笑)。土日に踊りの練習やリハーサルがあるからバイトは入れないみたいな感覚。友達にも「今日は踊りがあるから帰るね」とか言って、遊びよりも踊り優先という感じです。
宮里:楽しいです。この稽古場自体が楽しいから、だから続いているんじゃないかな(笑)
新城:割と今言ったみたいに、優先順位が踊りで、踊りがとても好きなんだろうなというのは、踊っている姿や稽古している姿を見ても感じます。2人ともお稽古にもとてもまじめ。学校での生活は知らないし、お勉強もちゃんとしているのか心配なぐらいなんですけど。でも稽古場に来てお稽古をする姿は、2人ともとてもまじめですね。だから着実に上手になっていくし、お化粧しても本当にかわいいんですよ(笑)。ももちゃんもキラキラしてるよー。
お稽古をやるなかで難しいなと感じていることや、頑張ろうと前向きになる気持ちにつながったことはどんなことでしょうか。
新城:まじめすぎるんじゃない?教師になってから、彼女(宮里さん)には最近よく言うんですけど。「もっと遊んでいいよ」とか「もうちょっと感情を出してもいいんだよ」と言いますが。割ときちんと踊るって言うのかな、まじめなんですよね。
宮里:教師免許を去年いただいてから、これからさらに頑張ろうと思いました。免許をいただくまで少し稽古が増えることもありましたが、もともと稽古が好きなので、つらいということもなかったです。結婚後は仕事に家事や育児と並行して、舞台に立たせてもらっています。独身時代に比べるともちろん大変なこともありますが、稽古に行くことが息抜きになっているので、苦だと思ったことは全くないです。家族の協力や支えもあって、日々のお稽古に励み、舞踊を続けています。
おふたりにとって新城先生はどんな先生でしょうか。
宮里:お母さんです。アットホームな雰囲気の稽古場であり、先生がお母さんだからみんなも子どもという感じで、姉妹がいっぱいいるという感覚ですね。もちろん親しい中にも礼儀はありますが、踊りのことからプライベートな話も相談できるので、やっぱりお母さんですね(笑)。
新城:そうですね。お母さんかもね(笑)。今までもいろいろあったはずだけど、それでもみんなで楽しく乗り越えてきたので。彼女(宮里さん)が高校生の時に、優秀賞に受かって芸能祭で学校をお休みしたり早退したりしないといけない時も、私が学校にお休みのお願いをしに行ったこともありましたね。
八木:稽古の時にその人に合ったアドバイスをしてくれるので、一人一人のことをわかっていて、理解してもらえているんだなと感じます。本当に「家族」という表現が一番合っています。
新城先生:私とも仲がいいけど、弟子同士仲がいいので、稽古場はいつも和気あいあいとしています。そんないつもの雰囲気がかりゆし芸能公演でも出たらいいなと思います。
今後の目標や公演の意気込み等を教えてください。
宮里:稽古場全体では名護市内で活躍・活動させてもらっていますが、かりゆし芸能公演で国立劇場の舞台に立たせていただくことで、名護市内だけではなく、他の地域でもみんなで少しずつ活躍・活動できたらいいなと思います。踊りでも頑張りたい部分はありますが、教師免許を取った今は裏方のスタッフとしても成長していきたいです。そのひとつとして、今回のかりゆし芸能公演では桜羽会の事務局も担当させてもらい、これまで以上に先生をお手本に勉強していきたいと思っています。
八木:今回の公演で女踊りを初めて舞台で踊るんですね。「花笠」という踊りなんですけど、とても好きな踊りなのでそれをたくさんの人に見てもらいたいです。この公演を見たことで、私が琉球舞踊を始めるきっかけになれるように、キラキラしているなと思ってもらいたいし、踊りの良さや楽しさが広まってほしいです。すごく好きな踊りなので、「花笠」も広まってほしいです。
新城:考えてみると今までそんなチャンスを与えてこなかったんですね。今回初めてうみないび(王女)みたいにきれいな格好をするのがとてもうれしいと思うので。これは私の振付です(笑)。もーもーがきれいに踊ってみなさんに喜んでもらいましょう。頑張りましょう。
取材日:2024年10月8日(火)
取材場所:新城園美琉舞研究所
プロフィール
新城園美(あらしろそのみ)
昭和42年名護市生まれ。昭和52年平八重子琉舞研究所に入門し、平成3年親泊流芸能コンクール最高賞受賞。平成8年には、琉球新報社古典芸能コンクールにて最高賞を受賞した。平成11年平八重子師より教師免許授与され、平成12年稽古場を開設。平八重子師より平成17年に師範、平成26年に親泊流桜羽会会主を拝受した。名護市内を中心に活動し若手育成に尽力している。
宮里千穂(みやざとちほ)
親泊流桜羽会 教師
八木百李(やぎもも)
沖縄県立北山高等学校2年