芸能インタビュー | かりゆし芸能公演

最終更新日:2024年3月25日

かりゆし芸能公演 インタビュー14

南城市文化協会琉球舞踊部
副会長(貞扇本流貞扇会2代目家元) 山内小夜さん
大城一咲さん(貞扇本流貞扇会)/玉城秋乃さん(玉城流華豊正江の会)/古謝 渚さん (宮城本流鳳乃會)/大城博幸さん(知名ヌーバレー保存会)

5人の写真

南城市文化協会琉球舞踊部(以後「南城市文化協会」と表記)によるかりゆし芸能公演 琉球舞踊「新春 笑え~ふくい」が、1月21日(日)に南城市文化センターシュガーホールにて開催されました。南城市文化協会は市町村合併に伴い佐敷、知念、大里、玉城の各文化協会組織をまとめ、2006年7月24日に南城市文化協会連合会を設立。本公演では、地域芸能の一つ南城市知念知名地区に継承されている「松竹梅鶴亀」を演目に取り入れました。今回は南城市文化協会琉球舞踊部の山内さん、大城一咲さん、玉城さん、古謝さん、知名地区ヌーバレーの大城博幸さんにかりゆし公演を振り返りながらお話をお伺いしました。

ーかりゆし芸能公演への応募の理由やきっかけをうかがえますか。

山内小夜先生(以下山内):南城市文化協会琉球舞踊部(以下舞踊部)は、2006年に南城市の4つの市町村が合併したのをきっかけに、4つの市町村でそれぞれ活動していた文化協会が統合し設立されました。その翌年からは、舞踊部の皆さんの提案で3月4日の「三線の日」を取り上げて演奏や演舞を披露する活動をしていましたが、新型コロナの影響で活動が止まってしまいました。しかし、令和3年に、「新型コロナに負けない新春の舞」ということで、南城市知念のがんじゅう駅・南城で活動を再開しました。その頃に舞踊部門(13団体)に所属する先生方から「新型コロナの影響で色々な舞台が中止になったので、お弟子さん達のために舞台をつくりたい」という申し入れがあったんですね。そこで「かりゆし芸能公演ができないものね」といった話になり、令和4年に初めて申し込みをしました。そして今回が移動かりゆし芸能公演2回目になります。


-今回の公演の内容や工夫されたことはどのようなところですか。

山内:南城市は地域芸能がすごく豊富なんですよ。沖縄県全土そうなんですけど、南城市は特に豊富かなと思っているんですね。移動かりゆし芸能公演を応募するにあたっては、やっぱり「南城市市内で公演を行い、どこかの地域と何か連携して地域芸能も披露したいな」と思いまして、昨年は南城に伝わる大きなお面の醜童(しゅんどう)を南城市文化協会の座波次明さんの解説と南城市玉城志堅原伝統芸能保存会の映像を見せながら、現在の「しゅんどう」との比較をやりました。今年は知名ヌーバレーさんの「松竹梅鶴亀」と琉球舞踊の「松竹梅鶴亀」を取り上げて、2本立てでいけたらいいかなと思って演目を組みました。公演をご覧になった方からの感想にも「見ることができてよかった」とか、また「知名のヌーバレーは近くだけど足を運んで見たことがない」というお話も聞きました。


-令和4年と今年と2回の舞台をやり遂げられたなかで、若手の実演家の皆さんや子どもたちの変化や成長などを感じたことはありますか。

山内:かりゆし芸能公演だから特別ということではないんですけれども、そばから見ているとやっぱり成長していると思います。昨年新人だった子がレベルアップしているというのかな、技量が向上しているというのが感じられました。南城市は行事も多いものですから、普段から出演者の皆さんとは結構交流はあって、新春に行う南城市のがんじゅう駅での舞台や三線日、文化祭、南城市祭りとか、そういう時に顔を合わせる機会が結構あるので、お互いコミュニケーションは取れていると思います。だから「松竹梅鶴亀」とか「馬山川」といった演目の稽古は流派を超えていっても、違和感やギスギスすることがなかったんじゃないかなと思います。私はそれぞれが持っているものをパーフェクトに出せるようにサポートする側ですが、そういう意味で一歩も二歩もレベルアップしていたかなと成長を感じますね。

-先生が育成に関わる年代は最年少でおいくつくらいですか。

山内:私は幼稚園生ぐらいから。皆さんそうだと思うのですが、各道場で幼稚園・保育園の子たちがその年齢から稽古を一緒に行い、舞台に立っていらっしゃるという形ですね。

-子どものうちだと、モチベーションを維持することや他にもやりたいこともあり、稽古を継続するのが難しい時期もあると思いますが、継続させていくために工夫なさっていることはありますか。

山内:常に舞台があれば子どもたちは楽しんで取り組んでくれるかなというのはありますね。大なり小なり舞台があれば、次に向かって「この次はここで踊れるよ」とか「この公演が終わったら、次は新しい演目を覚えようね」という感じで、常に前に前に進めたほうが子どもたちもお稽古を頑張れるかなというのを感じます。各新聞社が開催する「こども舞踊大会」や「こども芸能祭」はまた別で、「1年間の大きな流れで今度はこれをやろう」ということもあります。ただ、年に1回の舞台というのは子どもたちもなかなか持続できないものですから、小分けして、小さい舞台でもみんなが出られるような舞台作りをやっているつもりです。舞台があるとちゃんと意識して稽古してくれるというか。
ただ、それが継続して成人まで続くかはまた別問題のところはありますね。結婚したり就職したり、進学で県外の大学へ行くため移住したりとなることもあります。それでも「この公演は終わりました。じゃあ次はこの公演、ちっちゃくても舞台があるよ」とか「次は何を稽古しようか」とか「何を舞台で発表したいか」というふうに、また稽古を重ねています。一つずつ目標を掲げてそれをやり遂げていこうという感じですね。


-先生ご自身がご指導に携わってきた中で心に残っている出来事や忘れられないことはありますか?

山内:忘れられないことは舞台のその時々で結構あるんですけど。舞台に限らずでいえば、小学校から稽古していた子どもたちが中学生になって、各学校から何名か代表して国内・海外の外国籍ファミリーのお宅へホームステイするというものがあるんですよ。それで、ホストファミリーに一度、うちのお弟子さんが踊りを見せたらすごく喜んでもらえたというお話をご父兄からもらったことがありました。その時にご父兄から「こうやって踊りを習わせていてよかったです」という言葉をいただいてやっぱり嬉しかったですね。自分を表現すること、特に海外の方と接する時などは、どう自己表現するかということですよね。沖縄の琉球舞踊でどう自分を出せるかということができて、すごく良かったかな。2、3人からそういうお話は聞いてますね。ただ、今のお話に出てきたこの子たちが現在も踊りをやっているかというと全くやっていないのですが、当時培っていた琉舞で自分たちのこと、特に海外で琉球舞踊を通して自己PRできたことが良かったかなという感じはしますね。やっぱり教えてきたなかで、今現在活躍している、いないは別として、子どもたちがそういう意味で自分の表現力で、自分の国の文化を披露することができたというのはいろいろな意味ですごく嬉しいですね。

-長年ご指導に携わる中で、モチベーションを維持するために心がけていることや指導するにあたって大切になさっていることをうかがえますか。

山内:まず、心身ともに健康でいないといけないかなと思っていますね。あとは見るのも好きですのでさまざまな舞台を見に行き、子どもたちの放課後の見守りや支援、社会の面などでボランティアに行ったり、また茶道のお稽古もしているものですから、静と動の切り替え、スイッチの切り替えができたらいいなと思ってやっています。苦しい時もあるけれど、子どもたちの顔を見たらまた元気になったりして。そういう琉舞以外の活動を通してモチベーションを維持していますね。踊りが主体ですから、無理のないように調整し、茶道などはあくまでも自分の趣味の範囲ですよね。しまくとぅばの講演などもいろいろ聞きに行ったり、お芝居を見たりするのも空いている時間は劇場に足を運ぶようにしています。

-先代から教わってきた中で大事にしている教えはありますか。

山内:礼儀作法については、うちの山田貞子先生もちょっと厳しかったです。戦後、物のない時代に踊りを始めて本当に芸能に力を入れていた方だったのと、当時は女性が踊りをやる時代ではなかったんですけど、その中でやっていたこともあって礼儀作法には厳しくて。だから今でもお稽古の始めや終わりには先生の教えにならって、しっかり挨拶で始まって挨拶で終わり、体の鍛錬と自主的に踊りの歌詞と節組等のことを学習することも大切にしています。あとは必ず声かけをしていますね。「今日どうだった?」とか「学校はどんなねー」とか。「試験があったよ」と返答があれば「どうだったか」とか、常に声をかけるようにしています。やっぱり琉球舞踊というものも先達から受け継いだ財産ですので、そういう感謝の気持ちは忘れないように、私も心がけていますし、子どもたちにもそう教えています。


-「新春 笑え〜ふくい」本番の日は、舞台袖でご覧になる中で、どのような思いで皆さんのことを見守っていましたか。

山内:どなたも失敗せず踊ってもらいたいし、普段稽古したものを思う存分発揮できたらいいかなという感じでした。この舞台がスムーズに運んでいけるようにそばで見ているということ、見守ることぐらいしかできないかな。リハーサルを見たり、踊っている皆さんは結構慣れていらっしゃるので、私は緊張しないですね。普段の稽古などは結構見ているので、舞台に出たらもう皆さんを信じています。

-南城市文化協会の琉球舞踊部としてこれからの目標ですとか、新しく挑戦したいことなどありますか。

山内:若い皆さん一人一人が琉球舞踊を通して大きく羽ばたいていってもらいたいし、お芝居などさまざまな活動をしている方たちもいるので、もっと頑張って「ここ南城市に琉球舞踊あり」というぐらいにね、活躍してくれたらいいなと思っています。お芝居や組踊などの基本は琉球舞踊ですので、できたら「七踊り※1の会」などを企画して勉強会なんかもできたらいいかなと。舞踊に携わるものとしては思いますね。あと、私たち指導者は高齢になりますので、新しいものへの挑戦はなかなか厳しいのですが、子どもたちから大人まで一緒になれるような舞台、琉球ミュージカルみたいなものができたらいいかなという思いはあるので、挑戦したいですね。舞台作りが大好きなんですよ。歌い方や読み方を皆さんと話し合いながら、まずはこんな感じでやってみようかと進めていく。ただ、新しい舞台を作るにしてもやっぱり地域の皆さんの応援がないと。第一に地域の稽古に来る子どもたち、地域の皆さんが大勢いますので地域との結びつきを大事にしながらですね。

※1 琉球舞踊の演目「作田」「本貫花」「伊野波節」「天川」「柳」「かせかけ」「諸屯」の7演目を総称した呼び名。

-かりゆし公演「新春 笑え〜ふくい」に出た感想や当日の印象をうかがえますか。

【大城一咲さん(以下大城(一))】

移動かりゆし芸能公演では地域の皆さんが見に来てくれたので緊張しました。また、知名のヌーバレーの「松竹梅鶴亀」を初めて見たのですが、私たちが普段踊っている「松竹梅鶴亀」とはだいぶ違っており、のびのびと踊っているなと感じました。

山内:私たちとしてはこれが移動かりゆし芸能公演の意義かなと思いましたね。

【玉城秋乃さん(以下玉城)】

前回もそうだったのですが、南城市の伝統芸能を同じ舞台で一緒に披露することができたということで、お客さんの反応がすごかったのは舞台に立っていても感じられてとてもうれしく思いました。地謡だったり踊り手だったり、南城市の舞踊家も皆さんすごく活躍している方が多くて誇りに思いました。

【古謝渚さん(以下古謝)】

かりゆし芸能公演の出演は今回が初めてでしたが、いつも一緒に舞台を作っている先生がいたこともあって、安心して出ることができました。こんなにたくさんの南城市出身の芸能家が頑張っているので、今度は個人個人についているファンが南城市に来てくれたらもっといいなと思いましたね。那覇からお客さんを連れてくる、逆輸入みたいな感じで。

-公演までのお稽古で大変だったことや頑張ろうと思う気持ちにつながったことなどありましたか?

大城(一):「馬山川」で初めて美男役でしたが、歌で大変苦労しました。普段なかなか使わない方言もあったので、間の取り方や長さとかがうまく取れなくて苦労しましたが、やっぱり一度出演を決めた以上は頑張るしかないと思ったので。「馬山川」は歌劇で踊りとは違う所作とかもあるので、どうやったら男役に見えるのかなというところは研究して頑張りました。

山内:そうですね。普段やっぱりしまくとぅば、方言を使わないし、「どういう意味?」とか聞いてきたりするので、こういう意味だよって教えたり。歌詞によって伸ばす部分が結構違うのね。単調に歌えない歌劇だから同じように歌ったらいけないし、この歌詞の時はここを伸ばしてみたりとか。本人も普段方言を使わないし、琉球音楽なんて舞踊の曲以外は聞かないだろうしね。そういうところでちょっと大変だったんじゃないかなという感じはしますね。

玉城:私も「馬山川」だったんですけど。私の所属する会で演舞する機会がなかなかなくて、道場から十数年前のビデオを引っ張り出して見ました。そこから相方と一緒に稽古を始めたのですが、車の中で歌いながらムービーを撮ってずっと歌の練習をしたりしました。あと「松竹梅」は他の流派の手を使っての踊りで総舞踊だったので覚えるのが大変でした。でもやっぱりみんなで一緒に集まって稽古をするというのがすごく楽しくて、良かったですね。

古謝:私も「馬山川」の稽古かな。みんなそれぞれの稽古場があるので、時間も全然合わなくて、まず全員揃った稽古を組むのが大変でした。代役は先生方にやってもらって稽古をやるんですけど、「馬山川」は歌劇なので踊りではないじゃないですか。琉舞だったら決まった振りが100だとしたら、歌劇は50ぐらいしか振りが決まっていないんですね。それぞれがその時々で振りがアドリブなので、「みんな大丈夫かな」と思いながら、私は楽しんでいたんですけど(笑)。自分たちもいつかは歳を取るのだから、自分たちの下の世代がこういう合同でやる演目とかもできるようになったらうれしいな。20代にバトンパスして、若い子がやったらお客さんももっと喜ぶんじゃないかなと思いました。次の世代に「私たちはこんなふうにやっているから見ていてね」という気持ちでしたね。

山内:「馬山川」のお稽古は皆さんで集まってというのはごくわずか。でもパートパートで稽古ができるようにして「できる時にはお互いに来てお稽古をして位置決めや所作は自分で考えてごらん」とか「こんなふうにやったらもっと良くなるんじゃない?」というアドバイスを私たちはしました。指導は古謝徳子先生だったものですから、私はそばで見ていて「こんなふうにしたら少し女子力アップになるよ」とか「醜女になって町を歩く気分で歩いてみて」ということを、外部からアドバイスはちょっとしましたけど。特に大城はまだ本当に「馬山川」を見たのもまだ数知れずじゃないかなと思うんですよ。実際に歌とかそばで身近に聞かないものだから、歌はかなり難しかったと思います。所作も自分で考えなさいと言ったって、考えてできるものでもないから「私だったらこうするよ」というものがあったらそれをやってごらんということで。

-琉球舞踊を始めたきっかけは?

大城(一):母(山内小夜先生)が先生をしていることもあり、幼い時から琉球舞踊を見て育っているので、自然に稽古はやってきました。

山内:始めたのは首里城の子ども大会に出た頃で、パンパースをかけていたぐらいの年齢ですね。初舞台は3歳ぐらいかな。

-小さい時はお稽古が大変だったり、もっと違うことをしたいなと思う時期はありましたか。

大城(一):あまり感じなかったです。もうやるものだと思っていましたからね。コンクールは大変だったかなと思います。毎日お稽古しないといけないので、それなりに怒られますし。社会人になって仕事をしながらの両立は大変な時もあるのですが、今はそれなりに仕事も舞踊も楽しみながらやっているので苦ではないです。やっぱり皆さんから「きれいだったよ」「良かったよ」というお褒めの言葉をいただけるので、そこがやりがいにつながり、支えになっています。

玉城:私は保育園の時に外部講師が来て習う機会があり、「私もやりたい」と言って幼稚園から始めました。その先生が今の師匠なのですが、それがきっかけですね。大変だったことはたくさんあります。コンクールもそうですし金銭面でもありますし、それぞれめちゃくちゃ大変だったんですけど。でもやっぱり踊りをやりたくて、20代の頃はバイトを3つ掛け持ちしながら、それでも踊りを優先にしていました。月の休みがなくても楽しくやってきました。今は結婚して子どもがまだ小さいので、前よりは動きづらくはなっていますが、結構うちの先生に助けられたことがたくさんあって、やっぱり先生が誇りに思うような自分でありたいという気持ちも大きいですね。

ずっと一緒に動いている幼馴染がいるのですが、活躍している姿を見ているとすごく刺激になって、私もという気持ちで続けています。琉球舞踊の魅力はやっぱり自分が舞台に立った時のお客さんの反応ですね。舞台は一瞬なんですけど、稽古がすごい大変。だけどこの稽古期間を経ての舞台というのは、やりがいが私の中ですごくあるなと思っています。たくさんの人に舞台を見てもらいたいという思いがありますね。

古謝:始めたきっかけは私も母が先生なので気づいた時にはやっていたのですが、いくつからかは覚えていないので、とりあえず小学生からとみんなには言っています。小学生の頃嫌だったのは、稽古日が火曜日と金曜日で「学校へ行こう」と「ミュージックステーション」が見られないんですよ。録画機能がないからリアルタイムで見ることができない。これがとても嫌でした。今考えたらかわいいなと思うんですけど、あのときは本当に嫌だったんですね。高校は南風原高校に行って、初めて自分と流派が違う同じ曲で違う踊りをする人たちと出会った時に、なんか面白いなと思って。今まで自分たちの流派の手しか知らなかったのが「こんな踊り方もあるんだ」とか「こんな扇子の使い方があるんだ」と思った時に急に楽しくなって続いていますね。それまでは嫌ではないけれど、テレビが見たい。だけど高校に入って世界が広がって、もっとやってみたいなって思いました。母は先生だったんですけど、そんなに厳しくなくて。どちらかというと今は私が稽古場にくるお弟子さんを怒る係(笑)。割と自由にのびのびとさせてもらっているので、さまざまなジャンル、お芝居だとか琉球舞踊でもアレンジした作品を作ったり、そういった作品に出演したりだとか、洋楽器とのコラボだとか、琉球舞踊から少し外れたこととかも結構すんなりできますね。道場に戻るとまた直す感じでやっています。

-これからの目標をお聞かせください。

大城(一):やっぱり古典舞踊をしっかりお稽古して雑踊りなどもしっかり習得して、舞踊歌劇もまた挑戦してみたいなと思っています。そして貞扇会(自分の所属する流派)の後輩の指導もしっかりやっていきたいと思っています。

玉城:私も今は指導する立場になってみて、子どもたちに踊ることの楽しさや他の道場の人たちとも交流を持ちながら、それが刺激になって成長させていきたい。私だけではなく教えている子たちにもさまざまな舞台に立たせてあげたいというのが目標ですね。

古謝:琉球舞踊って、世界中からみると小さい沖縄(島)の中にある舞踊なんですけど、県外や海外など外に出た時に、やっぱり「すごいね」と言われるんです。だけど沖縄の人がそれを知らないことが多いので、外にも発信するんだけど沖縄の方にも「こんなにすごいアイデンティティがあるところに生まれたんだよ」と気づいてもらい、本当に一曲だけでいいのでカチャーシーだけでもいいので、全然今まで琉球舞踊や芸事に関係のなかった人が音が鳴ったらすぐ立ち上がって踊るような環境になってほしいなと思いますね。そのために働きかけていきたいです。やっぱりそういった部分では、「県内の方より県外の方のほうが熱心な部分があるな」と思うこともあるので。私は「沖縄の血が流れている人であれば、三線の音楽が流れたら誰でもカチャーシー踊れるよ」と県外で言って歩いているので、これを嘘じゃない世界にしたいと思います。

-公演に出られた感想や当日感じたことをお聞かせください。

【大城博幸さん(以下大城(博))】
普段はヌーバレーにしか出ていないのと、観客も演者もみんな知り合いばかりなのであまり緊張はしないんですけど。こういう場はなかなかないので、ちょっと手汗をかいて扇子を落とさないかなってドキドキしていました。プロの人たちと一緒に舞台に立てたので、本当に良かったしいい経験になりました。待ち時間の前後は大体袖で演目を見ていて、出番の後は公演を楽しみました。


-公演までの稽古で大変だったことやもっと頑張ろうと思う気持ちにつながったことなどありますか。

大城(一):全体稽古が何回かあったんですけど、「松竹梅鶴亀」のメンバーも仕事を持っているので、みんな集まることがなかったので、調整するのがちょっと大変でした。「松竹梅鶴亀」をやって10年経つんですけど、今年で最後とメンバーみんな決めていたので。村屋にみんなで調整して集まって「いい形で終わろう」という同じ気持ちでみんな練習していました。ヌーバレーはウークイ※2の翌日にあるのですが、旧暦の7月16日の大体1か月か2か月前くらいから公民館に集まって、初めはDVDを見ながら練習を始めて、2週間前くらいになると実際に地謡の先生たちが来て三線に合わせて踊るという練習を続けます。手数はみんな覚えているので、今回は2週間ぐらい練習をやっていました。今回の公演では最高の舞台ができ、気持ちよく締めくくることができました。

※2 お盆最終日のこと。沖縄では祖先をあの世へお送りする日のこと。

-ヌーバレーに携わってきて伝統継承に対する思いや考えに変化がありましたか。

 大城(一):そうですね。18歳ぐらいからヌーバレーに出始めていて、初めは「伝統継承」とかそういう気持ちはなく、当たり前に出るものだと思っていました。高校生の時は夏休みが大体練習期間になるので、いろいろな人に会えたりしてとても楽しかったです。それから年を重ねていくうちに、いろいろな踊りを覚えないといけないこともあり大変な時もありましたが、他の舞踊や琉球舞踊などを見る機会もあったなかで知名の舞踊を見るとまた違う踊りになっていることに気づいたので、「これは継承していかないといけないな」と今になっては思っています。「松竹梅鶴亀」はもう終わったんですけど、保存会の一員ではあるので、これからは後輩や次世代にヌーバレーに携わる楽しさなどを伝えていければいいなと思っています。今も青年会のメンバーはたくさんいるわけではないので、何て言うんですかね。今の人たちは厳しくすると、さささっといなくなっちゃうので、どちらかというと楽しさを教えたり、知名の良さを感じてもらったりすることで、自然と思いが出てくると思うので。そういったことができればいいなと思います。

-琉球舞踊の「松竹梅鶴亀」をご覧になって感じたことはありますか?

大城(一):まず全然踊りが違うということと、知名の「松竹梅鶴亀」しか見ていなかったので、それが「松竹梅鶴亀」だと思っていたんですけど。本物を見た時に、琉球舞踊の「松竹梅鶴亀」もいいなと。立ち方だったり、プロなので所作なども勉強になりました。琉球舞踊には琉球舞踊の良さがあって、また知名の「松竹梅鶴亀」を見た時はそれはそれでまた面白いなということを感じました。

-「松竹梅鶴亀」は卒業して保存会に残るという話ですが、何歳まで在籍できるというような決まりごとはあるんですか?

大城(一):それは多分ないと思います。以前までは大体30歳ぐらいまでが青年会と言われていて、それから次のステップが保存会になって、そこで「松竹梅鶴亀」という踊りを踊るんですけど。今はやっぱり人材不足で人もいなくなっているので、30歳を超えても青年会を続ける人はいますし、やりたい人は死ぬまでやっていいかなと。「松竹梅鶴亀」も今終わったんですけど、知名のヌーバレーって意外と劇とかもやったりするので「馬山川」も昔はやっていたみたいなんです。だからメンバーと話して「馬山川やろうぜ」とか。今回舞台袖から見ていてめちゃくちゃ笑ったんですよ。なので「そういった芝居とかもできたらいいね」と話しています。


-知名ヌーバレーのこれからの目標や、他にもやってみたいこととかお話が上がったりしていることはありますか?

大城(一):ヌーバレーの演目はもう全部決まっているのですが、その中で芝居が何演目かあるので、これからの目標は芝居を頑張ることです。なので、いろいろな舞台を見て勉強したいと思います。

山内:皆さんに出演のお話しをしに行ったのが、ヌーバレーの前だったと思うんですけど。「ヌーバレーは8月だから本当は公演は9月、10月がいいけどね」とおっしゃっていたんですね。だけど私たちもそれぞれ予定もあるので、年明けにしかできないということになったのです。でもうらやましい。すごくのびのび踊っているのね、本当にうらやましい。やっぱり琉球舞踊はどうしても動きを抑えなくてはいけない部分があるので、それが琉球舞踊の良さといえば良さではあるんですけどね。民俗芸能の良さといえば本当にのびのびと、思う存分に手も伸ばしてやっているから、そばで見ていてうらやましいと感じました。遠慮なしに動いてるし、手も遠慮なしに上がっているし、動きも遠慮なしに踊られているから「ああすばらしいね」と。やっぱりこういう機会がないと、そばで見ないとわからないですよね。所作も違うけれかぶり物※3にしても全然違うし。亀も本物の剥製でびっくりしました。やっぱり地域でできることをやっているというのがすごく伝わって、そばで見ていてうらやましいぐらいでした。

※3 琉球舞踊で頭にかぶる飾りのこと。

取材日:2024年1月26日(金)
取材場所:南城市文化センター

プロフィール

山内小夜(やまうち さよ)

琉球舞踊家
貞扇本流 貞扇会二代目家元
南城市文化文化協会副会長

1951年(昭和26年)南城市知名で生まれ、その後佐敷に移り8才頃から玉城源造氏に師事。
高校卒業後1970年貞扇会宗家山田貞子氏に師事し、琉球古典芸能コンクールに挑戦する。
1981年に琉球舞踊道場を開設し指導にあたる。
2011年に貞扇本流貞扇会二代目襲名を受け、その年に琉球舞踊保存会伝承者認定を受ける。
師が築き上げた芸術度の高い琉球舞踊の継承を確認し、師の教え、想い「道・学・実」を次世代に紡いでいけるよう精進し舞の道に取り組んでいる。






大城一咲(おおしろ かずさ)

貞扇本流貞扇会








玉城秋乃(たましろ あきの

玉城流華豊正江の会








古謝 渚(こじゃ なぎさ)

宮城本流鳳乃會








大城博幸(おおしろ ひろゆき)

知名ヌーバレー保存会





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