令和2年度かりゆし芸能公演『狂女の舞』より。右が赤嶺さん
-那覇市文化協会演劇部会設立のきっかけと現在の活動状況をお聞かせください。
赤嶺啓子先生(以下赤嶺):那覇市文化協会演劇部会(以下演劇部会)は、1998年4月に設立されました。
現在は、20代から80代まで25名の会員が所属しております。演劇部会設立の理由としては、翌年(1999年)に開催される「第6回あけもどろ総合文化祭」(主催:那覇市文化協会/共催:那覇市)にて、新作史劇「平敷屋朝敏」(へしきやちょうびん)を上演することがきっかけでした。それまでも文化祭にて、何度か賛助公演として舞台を上演しておりましたが、正式に那覇市文化協会の一部会として活動しようとなったわけですね。以来、あけもどろ総合文化祭での年1回の公演をはじめ、自主企画公演の実施、かりゆし芸能公演へ参加するなど、沖縄芝居の継承、存続及び後継者育成とうちなーぐち普及のための舞台上演、文化発信に力を入れてまいりました。令和2年度「第29回あけもどろ総合文化祭」も、昨年10月から今年3月にかけて各部会ごとに実施されましたが、演劇部会は1月31日にパレット市民劇場にて、「吉屋チルー物語」、「夫振岩」(うとぅふいじぃ)の二題を上演させていただきました。
-新型コロナウイルスの影響から、演劇部会の公演が「令和2年度かりゆし芸能公演」で初めてお客様を入れての公演となりました。舞台だけではなく感染症予防対策にも力を入れる必要があったため、ご苦労も2倍だったのではないでしょうか。
赤嶺:そうですね。確かに大変苦労いたしましたが、昨年10月9日に国立劇場おきなわ(小劇場)にて無事に上演でき、ホッとした次第です。演目は、時代人情歌劇「狂女の舞」で、沖縄芝居ファンに大変人気のある作品です。コロナ禍ですから、座席数を半分にせざるを得ませんでしたが、お陰さまでチケットも完売し、当日も満員御礼!改めて、沖縄芝居ファンの皆様に支えられているんだなぁ、と痛感しました。本当に感謝しております。また今回は、沖縄県文化振興会の皆さんがいつも以上にバックアップしてくださいましたので、大変心強かったです。
でも実は、上演するべきかどうか出演者の間でも意見が割れ、一旦は中止にしましょうという話もでたんです。上演について那覇市文化協会の崎山律子会長にご相談したところ、「こういう状況だからこそお客様に舞台を見ていただき、元気づけてあげましょうよ」と、背中を押されまして。それから、出演者の皆さんにご理解をいただき上演へ向けて動き出しました。ですが、やはり上演すると決めてからがまた大変で…。特に、お稽古からリハーサルまで、常にマスクを着用する必要がありましたから、役者の皆さんは本当に大変だった思います。沖縄芝居は「台詞あり、歌あり」ですから、息が続かなくてね。でも、今の状況では仕方ありませんね…。出演者、スタッフの皆さんは、これまでとは異なる状況の中でよく頑張ってくれました。
一方で嬉しいことに、コロナ禍が功を奏したといいましょうか、大きな収穫もありました!沖縄県文化振興会が整備してくださったシステムを活用させていただき、初めてWebチケットの販売に挑戦したことです。実際に市外のお客様から、「公演チケットはどこで購入できますか?」という問い合わせが結構ありましたので、その際は、Webから購入できることをご案内させていただき、お買い求め頂きました。本サービスを利用したお客様からは、「これからはWebでチケットを購入したい」と、嬉しいお声を頂戴いたしました!チケットのWeb販売はとっても便利ですから、今後も販売方法の一つとして定着すると思います。新たな沖縄芝居ファン獲得にも一役買ってくれるのではないかと期待しています!
-現在、多くの若手実演家が活躍しておりますが、若手に対する印象や期待する点をお聞かせください。
赤嶺:若手実演家の皆さんは、「先輩方から素直に技を吸収しよう!」という姿勢で一生懸命にお稽古や舞台に挑んでおられます。私も演劇部会の活動を通して、若手の皆さんが、舞踊や芝居に真摯に向き合う姿を間近に見ておりますので、大変頼もしく感じています。皆さん本当に一生懸命で、また舞台を形にする力も持っていますでしょ。本当に感心するというか、若いとはいえしっかりしているんですよ。今後、若い皆さんがどんどん力をつけていけば、沖縄の伝統芸能が継承され今以上に発展していくのではないか、と期待を寄せています。
ですが、私たちもまだまだ学ぶ身でもあります。先輩方はもちろん、若手の皆さんから学ぶことも沢山あるんですね。ですから、私たちも若手の皆さんに負けずに、一緒に学び、ともに立つ舞台を楽しみながら芸を磨いていきたいですね。
-演劇部会の今後の活動についてお伺いします。
赤嶺:演劇部会では、今後も沖縄芝居ファンの皆様を飽きさせないよう、様々な作品を上演してまいりたいと思っております。沖縄芝居の場合は、四題歌劇ともいわれる「伊江島ハンドー小」、「泊阿嘉」、「薬師堂」、「奥山の牡丹」が有名ですが、芝居ファンの方からは、「あの芝居は最近やっていないねぇ」、「次はこの芝居を見たいさぁ」など、上演機会の少ない作品についてもリクエストを頂くことがあります。そういう声にもお応えできるよう、上演機会の少ない作品を掘り起こして、皆様に喜んでいただけるような舞台をお届けできればと思っています。芝居ファンの皆様の方がかえって知っている、という作品も多くありますので、私たちももっと頑張って勉強していかないといけませんね!
その上で、「若手の皆さんが成長できる場所の一つ」としてあり続けたいと強く思っています。若手の皆さんの意見を積極的に取り入れながら舞台づくりを行い、多様で奥深い沖縄芝居の魅力を一人でも多くの方に発信していけたら嬉しいですね。
余談ですが、私は県内でラジオ番組を2つ担当しています。ともに、俳優の糸数きよしさんとうちなーぐちでおしゃべりする生放送番組です。その番組内で、職場体験にいらした高校生たちとおしゃべりする機会が度々あるんですが、以前、「うちなーぐちより英語の方が聞き取れる」と言われたことがありまして、大変ショックを受けたんですよ…。英語は学校で教えていますが、うちなーぐちは学校で教えていませんよね。那覇市文化協会の活動として、うちなーぐち講座を開くこともありますから、今後は、これまで以上に積極的に活動する必要があるのではないか、と感じています。そういう意味でも、方言が話せない方にも沖縄芝居を見ていただく機会をもっと増やしていきたいですね。沖縄芝居を通して、うちなーぐちに興味を持ってくださる若い方を一人でも増やしていけたらいいなぁ、とも思っています。
-最後に、舞台人として今後挑戦したいことや夢について伺います。
赤嶺:私の師匠である、元乙姫劇団の大城光子師のもとで学んだものを、若手の皆さんに継承していきたいと思っています。そして、これまで以上に舞台のプロデュース・演出を手がけていきたいですね。若手の皆さんが挑戦してみたい作品を私たちがバックアップして、皆様へお届けしていきたいです。これからも頑張ります!
取材日:2021年3月
(※コロナウイルス感染症予防のため、メールと電話のやりとりにてインタビューを実施いたしました)
プロフィール
赤嶺啓子(あかみね けいこ)
那覇市文化協会演劇部会 部会長
玉城流光乃会師範
沖縄県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者
1954年那覇市牧志生まれ
那覇劇場近くの市場で商売を営んでいた芝居好きの母に連れられ、幼い頃より劇場へ足を運び、沖縄芝居や舞踊に親しむ。玉城流玉城盛義道場に入門し、本格的にお稽古を積む。結婚、子育てを経て、元乙姫劇団の大城光子師の琉舞道場に入門。以後、国立劇場おきなわの主催公演はじめ、舞踊、沖縄芝居公演に多数出演。1982年、琉球新報主催の琉球古典芸能コンクールにおいて最高賞受賞。
2010年、那覇市文化協会演劇部会に入会。現在は部会長を務め、年1回行われる「あけもどろ総合文化祭」にて、舞台の企画・運営・役者と、三役をこなす。2016年、大阪市大正区に琉舞道場を開設。現在も月に1度大阪へ出向き直接指導にあたるなど、県内外で若手の指導、育成に尽力している。
ラジオパーソナリティとしての顔も持ち、FMたまん(糸満)にて「うちな~びけん」(毎週月曜日~木曜日/15:00~17:00)を、FM石垣サンサンラジオにて「うちなーからゆんたくびけーん」(毎週金曜日/14:00~15:00)を担当し、俳優の糸数きよしさんとうちなーぐちで沖縄の魅力を発信している。