ー 質問1:劇団「群星」(むりぶし)の由来、現在のメンバーについてお聞かせ願います。
宮里先生:1976年から15年間、沖縄県内の学校へ出向いて沖縄芝居の公演を行なっていました。当初、初代座長の松村宏志氏が1956年に設立した劇団「於茂登座」(おもと座)として活動していましたが、「子どもたち一人一人を星に例えて『群星』とつけたらどうだろう」との松村氏の思いから、1978年に劇団「群星」へ名称を変更しました。その当時は、朝から晩まで学校公演の毎日。私はその頃からお店をやっていましたから、眠らずに名護まで行き、午前・午後の2公演をやることもありました。若かったからからできたけどね(笑)。その頃に学校公演の活動を継続して行っていたのは群星だけじゃないでしょうか。
現在は常時7〜8名のメンバーがいて、年齢は30〜70代。上演演目に応じて実演家の方に声をかけ、その都度集まって頂いています。劇場の大きさやお客さんの入り等を見ながら、多い時は100名もの出演者が出る舞台を手がけることもあります。
ー 質問2:劇団「群星」は沖縄芝居の劇団ですが、群星の魅力や特徴はどんなところでしょう。
宮里先生:これまで、名作三大歌劇(「伊江島ハンドー小」・「泊阿嘉」・「中城情話」)はもちろん、「奥山の牡丹」、「薬師堂」、「オヤケアカハチ」、「モーイ親方」等の上演を重ねてきました。群星は「どんな場所でも、お客さんの反応を伺いながら臨機応変に演技すること」を大切にしていて、これは前座長の松村氏の教えでもあります。私も前座長のもと様々な会場、色々な芝居、役に挑戦することで、あれもこれもできるんだ、という風に勉強させてもらいました。私自身が座長になってからは、演出指導の際、あまりチャチャは入れないよう心がけています。ベテランの俳優も多いので、多少の修正は入れますがほとんど任せています。そのせいか、実演家の皆さんも群星の舞台に出ることを楽しんで下さいます。そしてありがいことに、熱心に舞台道具を作って下さる方々もたくさんいて、応援して下さる方が大勢いるというのも群星の特徴だと思います。
ー 質問3:今回はなぜ「伊是名島」で公演をすることになったのでしょうか。
宮里先生:以前から「離島でやるなら伊是名島でやりたい」と決めていました。私、伊是名島がとっても好きなんです。かりゆし芸能公演に今まで無かった移動公演の制度が出来たことは本当に素晴らしいことで、感謝しています。また、地謡の宮城武碩氏と上間仁志氏は伊是名島の出身なんです。彼らの親戚や知人のご協力もあって島での公演を実現することができました。私たちが持っている「宝」を持ち腐れさせてはいけないですから、この新しい制度を活用して、いろいろな離島へ行き、多くの方に観せたいという気持ちがあります。離島公演となると実演家の方からも「ヌーンジワンネーソティーイカンガー」(なんで私は連れて行かないの)と言われるくらいで、実演家にとっても離島公演は楽しみなんです。
ー 質問4:本番は地元の方々とコラボレーションする演目が多数用意されています。
演目に込めた思いを教えて下さい。
宮里先生:大変バラエティーに富んだ演目になっていると思います。まず、島の子どもたちがやっている伊是名島尚円太鼓が出ますし、民謡ショーもあります。人気の演目である喜歌劇「馬山川」(ばざんがー)は、チュラカーギー(美男美女)役の4名とヤナカーギー(醜男醜女)役の4名の全8名が登場しますが、伊是名島公演では、ヤナカーギー役を伊是名島の男性4名にお願いしています。事前に渡した台本とDVDを参考に張り切って練習しているそうですよ。群星は地域の人たちと良くコラボレーションします。そうする事で地域が活気づきますし、とても良い舞台になるんです。 また、地元の皆さんが宣伝してチケットも売ってくれたりしますしね。中には、プロだけでやって欲しいという方もいますが、「アランドー、イリリワルジョートードー」(そうではないですよ、入れたほうが素晴らしいんですよ)と言ってね。皆んなで舞台を盛り上げていくには、地域の方もグー(一緒)なってやったほうが華やぎますでしょ。
ー 質問5:早くも本番が楽しみなのですが、今回の伊是名島公演が「入場無料」というのには大変驚きました。宮里先生のサービス精神が現れているかと存じます。
宮里先生:それは私の気持ち。せっかく行くんだから無料で見せてあげたいんです。公演翌日には、特別老人ホームチヂン園での慰問公演も決まりました。せっかくプロの芝居役者が行っているんだから、会場に来られないお年寄りの方たちにも見せたいねぇと思って。また、特に離島では役場の協力が不可欠なので、今回無料にすることで村教育委員会と連携して準備を進めてきました。島の皆さんもとても喜んでくれています。
ー 質問6:沖縄の伝統である芸能を担う、また志す若手に期待することはどんなことでしょう?
宮里先生:若手の実演家には期待しかありません。今の若い人たちは、顔も体格も綺麗でしょ。私たちも若い頃は綺麗だったけど(笑)。沖縄県立芸術大学もありますから、歌や踊りも上手でね。だけど、ウチナー芝居で肝心の「方言」が一番難しいのよね。今の若い人のセリフはなぜか「ヤマトクトゥバフージーヤンヤー」(日本語のように聞こえる)と感じます。沖縄の方言はイントネーションやニュアンスが独特で、日本語では直訳できない言葉も多いでしょ。一番大切な方言ですが、それが一つの課題となっています。ですが教えないわけにはいかないので、若い人にもわかりやすく教えないと、と努力しています。 私たちが若い頃は「どさ回り」と言って、劇団員と年中一緒でまるで家族の様でした。その環境があったから方言や所作を先輩から学ぶことができました。逆に今の若い人たちはそういう環境がないので、可哀想ねぇとも思う。やっぱり、舞台をたくさん上演できるようにしないとね。生の舞台を。そうは思うんですが、私たちも若い人も皆んなが忙しい時代になっているので、付きっきりで教えることが難しくなっているとも感じます。指導する時は、基本的なことですが、お客様を向いて演技をすることから、役の立ち位置、所作、台詞の節回し、間合い等、一つ一つ意味からしっかり教えていくように心がけていますし、私が持っている「宝」は全部教えていきたいですね。それは沖縄のためにもなりますから。
ー 質問7:地域の方と共にゼロから舞台をつくるという経験は、若手にとっても貴重な学びの場になっているではないでしょうか。
宮里先生:そう思います。国立劇場のように環境の整った劇場だけではなく、会場の状況に応じて工夫すれば舞台は作れるんです。私は「ナランドー」(出来ません)とは絶対に言わないし、「アイネージョートーヤシガ、ネーランティンシムン」(あるならあるで良し、無いならないで問題ない)という気持ちを常に持っています。だって、舞台をつくるのは「いい苦労」でしょ。
ー 質問8:お客様を喜ばせたい、また舞台に立ち続けたい、という気持ちの原動力となっているものは何でしょう?
宮里先生:「お客様を喜ばせたい」というのは、私たち大衆演劇の役者がもっているものです。お客さんが「ワラトーサー」(笑っているなぁ)、「ウキトーサヤー」(ウケてるなぁ)となるとまたもう一つ入れるんですよ。それに私は根っからの芝居好き。本音は「年がら年中、朝昼晩と芝居がしたい」わけですよ。沖縄芝居を皆さんに観てもらって、皆んなで「ナチャイワラタイ」(泣いたり笑ったり)したいんです。
ー 質問9:最後に、これから挑戦してみたいことをお聞かせください。
宮里先生:1人芝居に挑戦してみたいです。私の声は綺麗な声ではないけれども「ウチナーの声」だと言われることがあります。脚本をしっかり覚えて、1人で演じる舞台をぜひやりたいです!
ー 質問10:伊是名島公演の成功、そして劇団「群星」はじめ宮里先生の益々のご活躍を楽しみにしています。どうもありがうございました。
取材日:2019年6月14日
取材場所:国立劇場おきなわ
プロフィール
宮里良子 (みやざと りょうこ)
沖縄県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者。
沖縄県糸満市出身。幼少より琉球舞踊を習い始める。19歳で乙姫劇団に入団し数々の舞台で経験を積む。1970年に劇団「於茂登座」(おもと座)に入団。1978年に劇団「群星」へ名称を変更し、夫で座長の松村宏志氏とともに、約15年間、沖縄県内の学校で沖縄芝居の公演を精力的に行い、ウチナーグチや沖縄の芸能を広める活動に尽力。2000年劇団「群星」二代目座長を襲名。初代座長の志を継承しながら、演劇界の若手育成をはじめ、若い世代へ向けて、沖縄芝居を通してしまくとぅばの普及・継承に努めている。民謡ライブ「群星」のママでもある。