
【公演前インタビュー 前編】
8月17日「第4回 高校生選抜かりゆし芸能公演」
取材者及びライター:たまきまさみ

5月31日、6月1日に行われた「第13回高校生郷土芸能ソロコンテスト(以後ソロコンと表記)」では、舞踊・三線それぞれの部門に総勢54人の高校生たちが出場しました。琉球芸能に携わる高校生たちにとって、ソロコンとは甲子園のような存在であり、高校生の今しか出られないかけがえのない舞台でもあります。ソロコンで上位入賞を果たすと、8月には「高校生選抜かりゆし芸能公演(以後高校生選抜)」に出演することができます。
今年もまた、高校生選抜に出演が決定したみなさんの声を聞いてきました。ソロコンを終えた今、みなさんが高校生選抜へ向けてどんな思いでいるのか。琉球芸能に携わるきっかけをはじめ、今後の芸能の発展のためにできることなど、6人それぞれの言葉でお話をうかがいました。メンバーそれぞれのエピソードに触発されて、思い思いに語ったみなさんの言葉や表情を8月の公演よりさきがけてお届けします。
-ソロコンテストの課題曲「かぎやで風」をお稽古する中で、苦労したことやこだわったことはありますか。
比嘉一朴さん(以後比嘉さん):今までずっと弾いていた曲なので、最初は改善点や「こうした方がいいよ」みたいなアドバイスをもらって、それを直そうと頑張っていたんですけど。ある時期からずっと弾いているとおもしろくなくなってきて、行き詰まってしまいました。まったく何も知らないところから始まると、歌詞の意味を調べたり歌っていて難しいところを直したりするのが最初は楽しいけれど、これ以上何もできないと行き詰まった時に、ずっと弾くのがつらくなってしまって。そのうえ曲も長いのもあって、おもしろくないと感じるようになっていました。改善しようと思っても、その行き詰まりを超えられなくなってしまい、それが一番苦労しました。そこから意識したのは、僕の師匠さんの歌に合わせて、先生の歌い方を目指して弾くというのを続けてやっています。
當眞愛乃さん(以後當眞さん):私はコンクールや新人賞の時に、民謡は一人で歌う経験はしているのですが、そもそも古典の曲を一人で歌ったことがなかったのです。初めて先生から「ソロコンをやってみたら」と言われて、校内オーディション※1を受けたのですが、そこで受かってソロコンに挑む時にやっぱり初めてというのもありましたし、校内オーディションに受かっているので、落ちてしまった人の分まで背負っているという思いもあって、かなりプレッシャーを感じていました。やっぱり古典は工工四と同時に声楽譜を読むというのがあって、それが結構難しくて。節回しも苦手というのもあって、覚えるのも歌い込むのも結構苦労しました。
外間凪琉さん(以後外間さん):僕も愛乃さんと一緒でこれまでは民謡をやってきたので、古典を一人で歌うというのは初めてだったんですけど。民謡は先生のまねをするというのは基本だと思うのですが、歌い手それぞれの良さがあってみんな上手という感覚なんですけど。古典は工工四通りにということや、節回しもいかに余分なものや間違えを減らすかという作業が大変でした。やっぱり民謡をやっているので、違うところに節を入れちゃったり民謡の癖みたいなのが出たりしたので、そこがちょっと難しかったです。
﨑原裕絢さん(以後﨑原さん):私は稽古をする中で師匠の先生に常に「祝儀舞踊なので明るく楽しい気持ちで踊って」と言われていました。歌詞の意味をまず理解して「きゆぬふくらしゃや」は「今日の誇らしい気持ちを何に例えよう」と言っていて、2回同じ振りがある部分が何かを強調したいという意味が残されているなと私は感じていました。だから2回同じ振りをするのなら、1回目よりは2回目という感じで、単調にならないようにという動きをして、暗い気持ちで踊ったら祝儀舞踊の意味がなくなるなと感じていたので、表情も意識しました。 先に目線が行く癖があったので、そこに気をつけながら稽古をしました。
石垣正城さん(以後石垣さん):私も裕絢さんと同じように、踊りの中で表現をすることにとても苦労しました。古典だと型があるので、大体踊っていくうちにその型になっていくので、さらにその上の表現というのが必要だなと思っていて。稽古していくうちにだんだんできていって、そこから先生に言われた踊り、歌詞の意味にあった表現をしていくという感じでした。所々の所作と歌詞の意味をちゃんと合わせて理解して、それに適した表現をするという理解にいくまでに結構時間がかかりました。
當山紗良さん(以後當山さん):私は去年ソロコンで銀賞という悔しい結果に終わったこともあり、今年は金賞を取りたいという気持ちが強くて。そういう強い気持ちのまま稽古をしていると、だんだん何が正解かわからなくなっていきました。踊っている時に自分の納得できるような形じゃなかったり、目線もそうだし動きの一つ一つが全部ダメな感じがして、ずっとその感覚と向き合っているのがつらかったです。先生から「ここはこうだよ」って言われるのもいつもはすっと入ってくるのに、毎日ずっと稽古をしていると癖がついてしまい直すのが難しくて。できていると言われていても、自分の中ではまだできていないと思ったり、納得いかないという時期があったので、そこが一番苦労しました。
※1...南風原高等学校では、ソロコン出場を希望する学生が多いため、ソロコン出場のためのオーディションを独自で行い、そこを通過した学生のみがソロコンに出場できる。

※第13回沖縄県高校生郷土芸能ソロコンテストの金賞受賞者(左が舞踊部門、右が三線部門)
個別質問【三線:比嘉さん、當眞さん、外間さん】
‐第4回高校生選抜かりゆし芸能公演へ出場にあたり、どんな思いで稽古に臨みたいですか。
比嘉さん:僕は普段から地元の舞台とかにも出たりするんですけど、高校生選抜は国立劇場で行われるし、僕たち高校生と県立芸大の先輩方という同じ世代のみんなと一緒の舞台に立てる機会なので、一つは楽しむということと、僕は独唱もあるので、しっかり稽古してまわりのみんなと一緒にいい公演にしていけたらという気持ちがあります。
當眞さん:地謡での演奏というのはもちろんですが、独唱する機会を得ることができたので、ソロコンの時よりももっと稽古を詰み重ねてさらにレベルアップした姿で、この公演を見に来てくださった方に感動を与えられるように稽古にもっと励んでいきたいと思います。
外間さん:僕は箏がメインなので、高校卒業後は芸大で箏曲を学ぶコースに行こうと思っているのもあり、もしかするとこの舞台が古典の三線の独唱では最初で最後の舞台になるかもしれません。民謡はお母さんやおじいちゃん、おばあちゃんも先生をしているのでこれからも続けるんですけど、古典は道場に入るわけでもなく高校で顧問の先生に教えてもらったものしかやっていないので、同世代の人たちと楽しむのももちろんですが、一番は自分が思う存分楽しめる舞台になったらいいなと思います。
個別質問【舞踊:﨑原さん、石垣さん、當山さん】
-今回の公演の最後に創作舞踊があるということですが、創作に挑戦する意気込みをお聞かせください。
﨑原さん:古典舞踊とは違って創作なので、自分らしく高校生らしくのびのびと感謝の気持ちを込めて踊りたいなという気持ちです。元南風原高校の教師であり顧問だった饒波園代先生に道場で教えてもらっていて、ソロコンを学校予選の時からずっと支えてくださった園代先生への感謝の気持ちと、朝から晩までずっと付きっきりで一緒に支えてくれたお母さんたち家族への感謝の思いを込めて踊りたいです。
石垣さん:創作舞踊はもともとある琉球舞踊と違って、原型がそんなに昔からないもの、最近作られた舞踊なので、私がどういう踊りをしたらいいのかまねできないんですね。だからこそ難しいので、自分らしい創作舞踊に合った楽しい表情を作りたいし、自分らしく曲を理解してそれに合った踊りをしたいと思います。フィナーレの演目なので、見に来てくださったお客さんを最後にもっと盛り上げるためにも、声を出したり踊り以外の表現の部分でも盛り上げるムードメーカーになりたいなと思います。
當山さん:創作舞踊というのはやったことがないのですが、芸大の人たちと一緒に公演をする機会はめったにないと思うので、チャンスというかこの機会をもっと楽しんで、自分らしさも出しながら踊れたらいいなと思っています。
-琉球芸能に携わるきっかけや進学や習い事などで生活が変化する中で、これまで続けてこられた理由やモチベーションなどをうかがえますか。
﨑原さん:小学校1年生からバレエを習っている先生が創作舞踊をやっていて、バレエの振りの中に琉球舞踊の振りが融合しているような踊りを先生から習っていたのです。その先生の影響もあって、私も琉球舞踊をやってみたいという気持ちがあり 成長や環境の変化があっても続けられた理由はとにかく踊りが楽しくて、バレエをやっていても琉球舞踊をやっていても本当に踊ることが楽しくて、踊りたいという気持ちだけでした。
南風原高校の郷土文化コースに踊りがあるということだったので、中学3年の受験の前にバレエを辞めたので、琉球舞踊を習い始めたのは高校に入ってからです。モチベーションを保てたのは、1年生の時は憧れの先輩たちと踊ることで「あの先輩のあの振りをまねしたいな」とか「この先輩かっこいい」「こんな先生いいな」とか私もあんなふうになりたいという気持ちで稽古したいなという思いがありました。先生の踊っている姿や所作を見ると、毎日続けないとやっぱりできないなと思い、「継続は力なり」という気持ちやモチベーションで続けられました。
それでも挫折もありました。先生から言われたことをすぐにはできないのと、振りにしても、顔の角度と同時に振りをやるところがなんでできないんだろうとか。先生から言われている注意でも、自分では直しきれないところがあったりして、そこがちょっと挫折しそうになりました。バレエは飛んだり跳ねたり回転したりと基本重心が全部上なので、上にと先生に言われてきましたが、琉球舞踊では重心は下、 すり足という感じで、最初はなんだろうこの感覚みたいな感じで楽しい毎日でした。バレエを辞めて琉球舞踊をやりたいと思ったのは、所作ひとつでも顔の付け方でも全然違う表情になったり、地域の人に親しまれている踊りだからこそ、みなさんに与えられる感動とかうれしさはやっぱりバレエと変えられない、そんな不思議な力があります。
石垣さん:3歳の時にテレビで見た「沖縄の歌と踊り」の中で、琉球舞踊の「高平良万歳」という男性舞踊を見て興味を持ち始めて、5歳のころに親戚のつながりで西村綾織先生が作った組踊に出て、そこから綾織先生に舞踊を習い始めました。踊りを続けていく上で舞台に立つ機会が時々出てくるんですけど、稽古の中で時にはきつくて行きたくないということもあったのですが、舞台に出て終わった後の達成感とか、自分の家族以外の人たちがお客さんとして舞台を見てくださって「よかったよ」と握手してくれたりとか、そういうことがあって舞踊をやっていてよかったなというモチベーションにつながりました。
他のみんなより遊ぶ時間は少なかったんですけど、今やっている基礎もいずれ自分のやりたい踊りにつながるというのもわかっていたので、遊びたい気持ちをグッと堪えて続けることで、大学生ぐらいになったらレパートリーも増えていくと思うことで、ずっと稽古を続けられました。
舞踊は5歳からやりたい曲があったので、そこに向けて走っていました。綾織先生のお父さんが三線の先生だったのですが、道場の近くにすぐ稽古場があって、踊りが終わった後に三線の稽古という感じでうまく両立していました。踊りをやっていく上で、三線をやっていると共通する部分があるので一石二鳥という。歌詞を理解できるしリズム感も養われるので、どちらをやっていてもむだではないと知っているので、両立できました。
私が組踊を習っているのは眞境名正憲先生というすばらしい なんですけど。小さい頃の私や芸能をやっていない一般の人に対しても腰が低く礼儀正しい先生で、道場で教えてもらっている中でも「芸能を自分だけのものにしてはいけない。何か教わったことや気づいたことがあったら、みんなの大切な宝物なのでぜひまわりにも共有して」とよく言われていたので、その言葉を胸に刻んで気づいたことや教わったことをまわりにもよく共有しています。組踊は小学2年から習っているのですが、その言葉を意識するようになったのは中学生ぐらいからですね。
當山さん:私は琉球舞踊については全然知らなかったんですけど。お母さんが小さい時に少しだけやっていたこともあり、その先生とのご縁もあって「やってみる?」と声をかけられ始めたのが小学4年生からです。最初はなんか堅苦しいなとか、古典を見ていると眠くなるなとか思っていたけど、何もやることもないしと思って何となくで始めたので、その時は全然楽しいとは思わなかったんですけど、続けていくうちにどんどん楽しさがわかってくるようになりました。踊ることが楽しいと気づいてからは踊りばかりやりたくなって、他の習い事よりも踊りを優先にしたり、辞めた習い事もあるぐらい夢中になれる良さに気づけたので、それでずっと続けてこられました。
明るい曲は楽しいというのはわかるんですけど、古典とかって踊れるまで時間がかかるのでちょっと苦しいのですが、踊れた時のうれしさというか覚えたものを踊れるのが楽しくて。振り一つ一つの動きをきれいに覚えられた時は、何回でも踊りたいと思うぐらい楽しいなって感じます。これまで一人で踊ったりすることがなかったので、コンクールや新人賞に向けての稽古もすごく苦しかったし、同じものをずっとこなすのはやっぱり難しくて、向き合ったらその分課題点ばかり見つかって楽しくないというか。自分のやりたい曲は楽しいんですけど、ソロコンの時もそうだったのですが、舞台に向けて毎日同じ曲の練習というのがきつくて。だけどやっぱり舞台に立って新人賞を取った時も、やっぱりやっていてよかったなと思える達成感と、やっぱり踊りが好きだなと思う瞬間があってずっと続けてこられました。
比嘉さん:僕が三線を始めたきっかけは、父の地元の名護市屋部で毎年行われている豊年祭を小さい頃から見に行っていて、その時に地謡をしている人を見て「三線をやりたい」と父に言ったらしいです。今の師匠さんと父が知り合いで話してくれて、そこから小1の時に屋部公民館で習い始めました。豊年祭の地謡は小学5年の時に1回だけやりました。豊年祭はずっと4人で地謡をやっていたんですけど、1人足りない年にたまたま入れた感じで、とりあえず弾けなくてもやってみるということで一緒にさせてもらって。ずっと楽しかったし、舞踊も見るのが好きなので、目の前で踊っている人を見ながら弾けるというのはとても楽しかったです。
三線を弾くのがとても楽しかったので週1の稽古にずっと通っていましたが、奨励賞を受けるための稽古でずっと同じ曲になってきつい時でも、他に空手と書道をやっていて発散したりリフレッシュできたので、いろいろな稽古があったおかげで成り立っていたのかなと思います。
當眞さん:きっかけは保育園で創作舞踊を知花小百合先生から習ったり、太鼓を山川まゆみ先生から学ぶことができて、楽しいというのがまず一番にありました。祖父の三線を身近でずっと聴いていたのもあり、私もやってみたいと思っていたら、まゆみ先生に声をかけてもらったのがきっかけで、保育園の年長ぐらいから三線を始めました。一番はとにかく三線が好きで、おじいちゃんの前でも弾いて歌ったり、見せてと言われたらすぐやったりして褒めてもらうのがとにかくうれしくて家族にも聴かせてあげたりとか。
今は青年会の地謡にも参加していて、自分ができることを人に見せるのはうれしいというのもあるし、褒めてもらった時にもっと頑張ろうという思いにつながってモチベーションになっています。青年会の地謡は、お盆とか正月の時とかに与那原町の当添で道ジュネーの地謡として活動しています。南風原高校の郷土文化コースに進学するまではずっと民謡を習い続けていて、高校で初めて古典を学んだのですが、そこから結構変わったというか。古典を習ううちにもっと他の曲をやりたいと思うことが多くなりました。古典は節回しが決まっていることが結構多いのですが、民謡は自分の歌い方、のびのびと好きなように歌えるので、古典は結構難しいところもあるんですけど、できるようになったら楽しいという気持ちにつながるので。三線を弾くことが好きだから、特にモチベーションが下がることはなかったです。
外間さん:僕はお母さんのおなかの中にいる時からたぶん三線の音を聴いていたんだろうなと思っています。 うちはお母さんが踊りと民謡の三線と箏の先生で、おじいちゃんは民謡の先生、おばあちゃんは民謡と踊りの先生をしていて、お父さんはちょっとだけ三線をしていた芸能一家で育ったので、小さい時はこれが普通なのかなと思っていました。だから3、4歳ぐらいの時から舞踊もちょっと習っていて、家族でやっていた民謡ライブにお兄ちゃんと一緒に「海のチンボーラー」とか「谷茶前」などのかわいい系の踊りで出ていましたね。地元の名護市大兼久の豊年祭で舞踊を踊っていました。コロナで一時豊年祭はできなくなっていたのですが、最近復活したということで、去年は正城さんと一緒に助っ人で出演して「戻り駕籠 」を踊ったんですけど。
記憶が正しければ、お箏は小学4年生からやっています。箏はお母さんが先生をしているのとお兄ちゃんがやっていたので、近くにあったら弾きたくなるじゃないですか。それで弾いていて「やってみない?」と声がかかったんだと思います。小学校の時はやっぱり友達と遊ぶ時間が少なかったんですよ。そのころは野球もそろばんもやっていて、舞踊は豊年祭やコンクールの前しか稽古はしなかったんですけど。でもやっぱりまわりの友達はめちゃくちゃ楽しそうに遊んでいるんですけど、僕は習い事や野球に 休みは日曜日だけとかになっちゃっていて。その時にちょっとあれ・・・?ってなっちゃいました。僕は親が先生なので、反抗はしていて、野球は楽しかったんですけどそろばんは嫌いだったので寝ていました。それでもそろばんは中3までちゃんと続けて、 進学するので辞めたんですけど、あの瞬間最高でした。野球もそこまであんまりうまくなかったし、そろばんもそこまでできなかったけど、中学になって初めて音楽がマジで好きになっちゃって。J-POPとかを三線で早弾きでも弾けるようになって、やばい!楽しいってなっちゃって、そこからもうやばいっす!
弾ける曲が多くなって、自分で音を探して弾けるようになって友達とかにも聴かせてすごいとか反応をもらった時がめっちゃうれしくて。一応、本当は基礎がないとダメなので、ちょっとずつ気持ちが固まってやっぱり基礎を頑張ろうみたいな感じで中学校あたりから頑張り始めたというところですね。やっぱり中学校の時って反抗期もあって、やりたくない時間もあったんですけど。先生でもあるけど親でもあるので、良くも悪くもやっぱりいっぱい言い合えるじゃないですか。だから言い合ったこともあるけど、やっぱり一番近くにいるので聞きやすいのもあるので、感謝だなという気持ちでいっぱいです。
- これからの目標や目指していること、憧れの実演家はいらっしゃいますか。
比嘉さん:目指しているのは芸能とはちょっと違うんですけど。僕の将来の夢はパイロットになることで、実際になったらいろいろな地域に行くじゃないですか。そういう時に、琉球芸能をもっと他の国や地域の人たちに伝えていけたらなというのが今一番思っていることです。目標は師匠である吉元博昌先生で、最初はあんなふうに弾けるようになりたいと思っていたんですけど。師匠とずっとマンツーマンで稽古をしてきて、最近はちょっとずつ先生にいつか勝ちたいと思うようになって、それで毎回稽古の時に、一つ一つの所作や歌い方とか節回しなどをどれでもいいから必ず一つは盗むという気持ちでずっと稽古をしています。先生ではあるけど、超える目標をずっと先生にしています。
當眞さん:やっぱり民謡が一番好きなので、これからも続ける中でもっと幅広い曲を弾けるようになり、自分らしい表現を模索しながら、より多くの人に琉球芸能のすばらしさを伝え続けることができたらいいなというのが一番です。高校卒業後は芸大には行かないんですけど、身近に三線を弾ける人がたくさんいるので、その人たちと一緒に弾いたりもっといろんな所で弾けるようになりたいです。
憧れはやっぱり今顧問をしている大城めぐみ先生です。ソロコンの練習をする中でめぐみ先生が歌っているのを何回も聴いて、少しでも近づけるように何回も練習していたんですけど、先生は引き寄せられるような歌声で芸能に愛情を注いでいるのが伝わってくるので。そして先生は感謝の気持ちを一番大事にしていると思うので、高校生活は終わるのですが、これからも先生の背中を見ながらもっとレベルアップしていけるように頑張っていきたいです。
外間さん:これから目指していることというのは、なかなか定まってはいないんですけど。僕は流されやすい性格なので、この前までは消防士になりたいとか公務員になりたいとか漁師になりたいとか言っていたんですけど。でもやっぱりこういう家系で生まれてきている以上、芸能は続けたいなと思っていて、今琉球芸能に携わる若い世代の人が少なくなってきているので、どうやったら若い世代に広めていけるかということを考えていきたいなと思っています。
僕は箏で活躍している池間北斗さんに憧れています。去年の夏ぐらいにちょっと挫折し始めていて、やっぱり毎日三線を弾いて毎日部活もやっていて、最初は楽しかったんですけど、だんだん慣れを感じてしまって挫折しかけていたんです。だから箏の舞台とかも断っていたし、高校卒業したら続けたくないとかお母さんにも言っていたんですけど。去年の2月にあった「杜の賑わい」という舞台で池間北斗さんと一緒に箏を弾くことができて、その時にいろいろ背中を押してもらって芸大に行こうっていう気持ちになったんです。これまではYouTubeとか舞台とかで演奏する北斗さんを見ていたんですけど。その北斗さんに「進路どうなっているの?」と聞かれた時に、芸大には行かないという話をしたら「でも自分で選択するから間違いないので、どんな進路になってもいいんじゃない」と言われて、リハや手合わせで弾いている時に「上手だね」って言ってくれたんですね。僕は褒められるのがめっちゃ好きなので、もうその時に頑張ろうと思いました。若手の男性の箏の奏者が今はやっぱり少ないので、僕も北斗さんみたいに上手に弾けるようになりたいなという思いで、憧れています。
﨑原さん:奥の深い琉舞ですが、沖縄の風習や郷土の音楽だったり琉球の歴史も深いところまで学んで、琉球舞踊にもっと生かせたらなと思っています。将来の目標は、南風原高校郷土文化コースの先生をしながら実演家になることで、目標にしているのは先生であり恩師でもある饒波園代先生です。先生のことを語り出したら止まらないんですけど、先生は人に対する捉え方だったり、前向きな考えとかもそうですが、生徒への愛もすごいんです。踊りは、男踊だったら目線も含めビシバシかっこいいし、女踊だったらこねり手とかしなやかな感じがとっても上手なんです。だから本当に憧れていて超したいとは思わないんですけど、一生背中を追うつもりでいます。先生の言葉で心に残っているのは「初心を忘れない」という言葉です。やっぱり1位とかどんどん賞を取ったり、いずれ先生とか教師免許とかを取ったら、どんどん上から目線になったりすることもなくはないと思うんですけど。園代先生を見ていると、いつも謙虚で腰が低くて年齢に関係なく誰に対してもとってもやさしくて、自分をちゃんと正していて軸がある。初心を忘れないという気持ちが、見ていてもわかるぐらいすごいくて本当に尊敬しています♡
石垣さん:僕が目指しているのは、やっぱり沖縄の芸能の実演家として世界中いろいろな所に渡って、他文化の人やさまざまな国籍の人に沖縄の文化の良さを知ってもらうことです。「文化」という言葉を調べてみると、人類が共通で目指していることに対して行っていく精神の活動という意味なのですが、今、戦争とか世界中で起こっている中で、人類が共通で思っているのは平和な世界になることだと思っていて。そのためにやっているのが芸能、文化活動というのはとても当てはまっていて、芸能をやってその良さを世界に発信していくことは、ある意味平和のための活動だと思っている。他の文化のことも尊重し合って、一緒に良さを語り合えるような架け橋になれるような人材になりたいなと思っています。
憧れているのは笛は大城建大郎先生、舞踊は先生である西村綾織先生で、組踊は恩師である眞境名正憲先生です。綾織先生は、今実演家として世界中のいろいろな所に公演をしに行っていて、コロナで芸能の舞台が少なくなった時期にもいろいろなことに挑戦し続けていた人です。「ミセス・オブ・ザ・イヤー」でスピーチや特技を発表して沖縄県代表になって、それで世界に琉球舞踊を発信していて、先生を見ていると同じように世界に渡って芸能を発信していきたいし、新たな面でも芸能の良さを伝えていきたいなと思うようになりました。公演するだけではなくYouTuberとしてでも、芸能の良さを伝えていけたらいいなと思えるきっかけになりました。
組踊の正憲先生は、芸能をやる上ではやっぱり精神、技術だけではなく礼儀なども必要なので、国から勲章※2をもらっているような正憲先生であっても、僕たちに対しても腰が低くて頭を下げる姿を見て、僕も礼儀正しく誠心誠意を持ってお客さんに対しても向き合っていきたいなと思いました。高校に入って笛も習っているんですけど、最近建大郎先生に笛を師事しました。やっぱり踊りをやっていると、コンクールとかを受けるとなると稽古代も上がるのでお金もかかるんですね。それもあって、先生に「大体いくらぐらい稽古代はかかりますか」と聞いたら「働くまでは考えなくていいよ」と言ってくれて、お金だけではなく芸能を引き継ぐという軸がありすごいと思いました。
當山さん:石垣さんよりは全然薄いんですけど(笑)。 私はやっぱり踊っている時が一番楽しいというのもあるので、これから大人になってもずっと踊りたいなと思っています。今の先生からこれからもずっと習って踊り続けて、楽しい踊りの人生を歩みたいなという思いがあります。踊りの人生と言ったんですけど、将来は警察官になりたいので、踊れる警察官として両立できたらいいなと思っています。
目標にしているのはやっぱり私の先生です。一人の先生から習っていると、その人しか見えないじゃないですか。とにかく踊り方がずっときれいで、教え方もめちゃくちゃ上手で自然と入ってくるというのもあるので、そういう教え方も見習いたいなと思いますね。先生は玉城千枝先生です。
※2...眞境名正憲氏、平成28年に「旭日双光賞」を受賞。
ーー後編へ続くーー
石垣正城(いしがき まさき)
沖縄県立南風原高等学校3年。
第13回沖縄県高校生郷土芸能ソロコンテスト 舞踊部門、県立芸大学長賞。
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﨑原裕絢(さきはら ゆりあ)
沖縄県立南風原高等学校3年。
第13回沖縄県高校生郷土芸能ソロコンテスト 舞踊部門、高文連会長賞。
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當眞愛乃(とうま あいの)
沖縄県立南風原高等学校3年。
第13回沖縄県高校生郷土芸能ソロコンテスト 三線部門、県立芸大学長賞。
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當山紗良(とうやま さら)
沖縄県立南風原高等学校3年。
第13回沖縄県高校生郷土芸能ソロコンテスト 舞踊部門、県立芸大学長賞。
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比嘉一朴(ひが かずなお)
沖縄県立那覇国際高等学校3年。
第13回沖縄県高校生郷土芸能ソロコンテスト 三線部門、県立芸大学長賞。
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外間凪琉(ほかま なぎる)
沖縄県立南風原高等学校3年。
第13回沖縄県高校生郷土芸能ソロコンテスト 三線部門、高文連会長賞。
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