2019.10.10 Thu
昨冬オープンした沖縄県立図書館を会場として、2019年3月19日にフォーラム「芸能の継承と沖縄の沖縄の文化振興」を開催した。平日の夜遅くに開催されたフォーラムであったが、100人ほどの聴衆に会場は埋め尽くされた。
まず主催者を代表して、進行役を務めた林立騎チーフプログラムオフィサー(当時)が登壇し、会の趣旨説明を行ったのち、「第一部:芸能の継承に関する事例紹介」と題し、合同会社白保企画、古見公民館、一般社団法人与那国フォーラムの3つの事例報告と、専門家である神谷武史氏と遠藤美奈氏からのコメントを頂いた。
第1部 プレゼンテーション ~芸能の継承に関する事例紹介~
事例報告1:「八重山芸能の後継者を育成する実践」 合同会社白保企画・横目博二氏
はじめに、合同会社白保企画が平成26年度から3年間取り組んできた人材育成に関する事業について、代表社員の横目博二さんが報告した。八重山のしまくとぅばを交えて語られる取り組みは、深い問題提起を含んでいた。
白保企画はこれまでに県の補助金を受けて、八重山の子どもたちを対象に「夢ステージ」事業と「琉球芸能鑑賞会」事業の2つに取り組んできた。そして、昨年度から、八重山芸能後継者育成の問題とともに八重山芸能の諸課題に関して座談会を実施してきた。
「夢ステージ」は、芸能を学んでいる子どもがオーディションを経て、国立劇場おきなわの舞台に立てるという取り組み。他方、「琉球芸能鑑賞会」は、経験の有無にかかわらずワークショップを通して芸能に触れるきっかけをつくるとともに、琉球芸能を知ることで、より深く八重山芸能についての理解をもたらす取り組みだ。
いずれも、八重山芸能を取り巻く課題の解決を目的としている。
「八重山芸能の課題は、八重山の子どもたちが八重山芸能に関われるのは高校卒業までという点」に収斂されると横目氏は力を込めて言う。それはつまり、八重山芸能の継承者の卵たちが高校卒業を期に、八重山芸能から離れてしまうことを意味している。
「いずれも将来の八重山芸能の後継者と期待し、沖縄県立芸術大学進学によってより高いレベルで芸能を学べると思って積極的に後押ししてきた。しかし、芸大に八重山芸能はなく、琉球芸能の後継者になってしまった。高校卒業後芸大を希望する子どもたちを止めることはできない。現状ではほかに選択肢はない」。ジレンマに顔をゆがめる。八重山芸能の後継者育成に、この2つの取り組みは貢献してきたことは確かである。だが、このままでいいのかと自問する日々だったという。
そこで、芸大に八重山芸能のコースをつくることができないかと、波照間永吉先生に相談したところ、座談会から始めて理解者を増やしていくことがたいせつだとアドバイスを受け、八重山芸能後継者を育成する上での諸課題について全6回に及ぶ連続講座を開くことになった。
座談会は、八重山研究を代表する、大田静男氏、波照間永吉氏、狩俣恵一氏、大城學氏をはじめ、芸大学長の比嘉康春氏にお集まりいただくことができ、成功裡に終えた。なかでも印象深いのは、八重山芸能OBOGによる会で語られた「(琉球芸能中心の芸大は)まるで海外留学だった」との発言であろう。
こうした地道な取り組みにより明らかとなったのは、八重山芸能の継承に関心のある多くの人の存在だ。座談会連続講座は、203ページにも及ぶ報告書にまとめられた。
事例報告から2:「郷土芸能を地域で支える仕組みづくり」 古見公民館・新盛基代氏
古見の祭りを後世につないでいきたいと立ち上がった新盛基代さん。新盛さんは多くの人が集まった会場に少し気後れしつつも、力強い語り口で切り出した。
西表島でも一番古い集落のひとつといわれる古見村にはかつて、琉球王国の役所が置かれるなど、政治や文化の中心的役割を担っていた。古見には、さまざまな祭祀・芸能が継承されているが、なかでも結願祭(きつがんさい)では、古見の浦節など多くの芸能が奉納され、おおよそ30あまりの演目が演じられてきた。狂言「長者の大主」の踊りの14種目は子どもたちが演じるという。
だが、古見にある32世帯のうち古見出身は9世帯を数えるのみとなった。そのような中で祭祀を執り行うには、石垣市の郷友会の協力が不可欠な状況である。祭りに不可欠な地謡は石垣市にひとり、84歳になる新本定男氏のみとなった。
地謡はすぐには育たないため、まずは沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業を受けて、沖縄県立芸術大学附属研究所等の協力を得つつ、時間をかけた後継者育成の仕組みづくりに着手をはじめた。古見公民館には、地謡が録音されたカセットテープが保管されており、普段の練習にも活用している。カセットテープは摩耗による劣化がみられるため、芸大の機器でデジタル化に着手、口伝で伝えられてきた歌の採譜(工工四)にもはじめて取り組み、今年度だけで14曲が譜面に起こされた。中学生二人が、この機会に三線を覚え、小学生も練習に加わるようになった。歌を覚えるにあたって、古見の資料を大学や図書館で探し、子どもたちに集まってもらい、古見の歴史やこれまでの祭りのようす、歌詞に込められた意味をお話するといったことも行っている。
村外出身者が増えるなか、祭りをどう継承していくのか、悩みの種は尽きないが、工工四とデジタル化の成果は大きい。古見小学校での学習発表会に祭りの演目が加わることになったし、なによりも郷友会の励みにつながっており、後世に残していこうという意思が芽生えた。
そして、新盛さんは最後に、「西表にある小さな村々では、どこも同じように課題を抱えている。私たちが一度乗り越えてこういうことができたよということを、同じような課題を抱えている集落の方達に知ってもらえれば、自分たちもできると思うかもしれない。それが私たちの役目とも思う。」と報告を終えた。
事例報告3:「郷土芸能を地域で支える仕組みづくり」 一般社団法人与那国フォーラム・小池康仁氏
与那国に住んで5年目となる小池康仁さん。平成28年度にできたDiDi与那国交流館の指定管理者である一般社団法人与那国フォーラムの立ち上げに関わり、現在理事と事務局長を兼務している。小池さん自身は、芸能の専門家ではないそうだが、芸能に携わる職員との話し合いのなかから、舞踊や地謡の継承の課題に補助金を受けて与那国民俗芸能の継承に向けた調査及び人材育成計画策定事業に取り組むことになった。
与那国の祭事は、国の重要無形民俗文化財に指定されており、過去に盛り上がった時期もあるという。そこで、地域の芸能の継承に関する取り組みを始めるにあたり、まず現状の把握に努めることから着手した。与那国にある、5つの地区芸能保存会(=自治公民館)が、年39回ほどある祭事に携わり保存継承に取り組んできた。
また、地区芸能保存会である自治公民館とは別に、昭和44年に結成された琉球古典野村流音楽研究会与那国支部を前身とする与那国民俗芸能伝承保存会が、芸能の継承の危機に陥ったときに備え、各集落の芸能を記録、工工四に採譜し、歌詞解釈付与那国民謡工工四全巻にまとめ昭和45年に発刊した。そして、こうした取り組みを経て、昭和60年に国指定重要無形民俗文化財(与那国島の祭事の芸能)に指定されたと、与那国芸能の過去の取り組みについて報告があった。さらに、与那国中学校では、郷土学習の時間に、与那国芸能を取り入れており、卒業生によりかろうじて芸能が継承できている状況にある。
現在は、自治公民館よりも与那国民俗芸能伝承保存会により多くの芸能が蓄積されているなど、組織間、世代間によって芸能継承に空白域が生じているという。芸能の師匠世代は70代、現役世代は30代・40代が中心で、50代・60代が少なく、中学生もたびたび行事に出演しないと間に合わない。そのうえ、歌三線を担う地謡は70代が2人、40代は島外出身者1人と、継承が危ぶまれているため、担い手の体制づくりが喫緊の課題だ。八重山の他の島の祭事における芸能と異なる点は、郷友会の存在であるとも小池氏は指摘する。
そこで、郷友会や県外に居住する与那国出身者による協力体制の在り方の検討にくわえて、他の八重山の島々の奉納芸能への取り組みや継承方法について、与那国の芸能に携わる若手の方々が知ることにより、学びを得られるようなネットワークを構築していこうとしている。本補助事業ではさらに、竹富島との民俗芸能交換会、師匠クラスを中心とする勉強会のシリーズ化、波照間永吉先生を座長とする座談会の開催、シンポジウムの開催などに取り組んできた。
取り組みの結果見えてきたことは、集落の中のマネージャー育成が不可欠であるということ。祭事を集落の維持存続のために必要な公共事業であると捉えなおし、集落を支える人材育成に位置付ける。小池氏は、乱暴かもしれないが、と前置きしたうえで、今後の理想は、40歳以下の全ての住民がなんらかのかたちで祭事に関わること。島のみんなで芸能を支える仕組みが不可欠であり、それが最終的な目標だろうと述べた。
専門家のコメント1:神谷武史氏
沖縄県立芸術大学で講師をつとめる神谷武史氏は、同大学の琉球芸能専攻の出身。組踊の実演家でありながら、地元・八重瀬町志多伯の芸能の担い手でもある。また、大学卒業後は文化政策を支えたいという志から、八重瀬町役場に勤務していた。自身の経験の中から、人と人をつなげる人材=マネージャーが地域芸能の継承には重要であると力説する。
マネージャーとは、苦しい時代に生まれた芸能を、今の時代にどのように継承していくかを考え、実践していく人材である。「今の子どもたちの気持ちが文化から離れていっているわけではなく、生まれた時からケータイがあるのが当たり前の時代。この時代に沿って、地域の中で人をどうやってつないでいくかを考えるマネージャーとして、情熱をもって取り組める人たちが要です」と神谷氏は語った。
また、芸能を継承していく理由について、「何もない苦しい時代に、疲弊した村人が集まり、手を合わせて祈り、獅子舞を舞った。そのことが次の日の生きる活力となっていった。今は平和な時代で、芸能が娯楽のような位置づけになっているが、今後災害などが訪れて、世の中が一変したときに、人々の助けとなるのではないか」とし、この芸能が持つ価値を子どもたちにも伝えていく必要があると話した。
今の時代にあった継承の方法については、自身の経験の中から3つのエピソードを語った。
ひとつ目は、国立劇場で八重瀬の芸能が一堂に会する舞台を制作したこと。「地域の芸能がその地域を飛び出して、多くの人の前で上演することが、若い人たちに勇気を与えるチャンスになる」というねらいで、神谷氏が八重瀬町の文化振興係をつとめていたときに行った。地域によっては村の獅子舞を外に出すことに反対があるなどの苦労はあったが、結果として、ほかの地域に移住していた青年たちが芸能のために帰ってくることにつながるなど、目に見える成果があった。
ふたつ目は、神谷氏の地元である八重瀬町志多伯の豊年祭の事例である。これまでは区長が役員となり運営をしていたが、「豊年祭の年に役員をやったらやーちねー崩壊すんどー(家庭が崩壊するよ)」といわれるほど、負担が大きくなっていた。そこで神谷氏は、豊年祭実行委員会という組織をつくり、踊りや三線、棒術、獅子舞、道ジュネー、接待に関する部分まで、それぞれに部長・副部長を置き、それぞれが活躍できるポイントを作った。できるだけ多くの人が関われる体制にしたことで、1000人の志多伯集落から150名の出演者・50名の役員が参加する組織になったという。個人の負担を減らして持続可能な体制になったほか、個々のモチベーションを上げる「自分の地域に生まれたというアイデンティティを直に感じる機会づくり」にもつながった。
先出の古見公民館と同様に、神谷氏は過去に八重瀬町で教本づくりに取り組んだこともある。古老たちが当時の先輩方から教わったエピソードや、かつて受け継がれていた踊りなどを冊子にまとめて、各世帯に配布した。「みんなそれぞれ感覚が違うので、集まって由来を聞かそうとしても嫌な人は嫌。強制的になると拒否反応を示す人もいる。マネージャーとして、どうしたらみんなが気持ちよく受け入れてくれるかを探っていく」中で、教本づくりという方法を選んだという。
最後に、3つの事例報告を聞いた感想として、「みなさんのお話を聞いて改めて感じたのは、一番大事なのは人だということ。お亡くなりになった先輩方ももちろん大切だが、今ここにいるみなさん、かかわっている人たちが一番大事」とのべた。その人たちのモチベーションを高め、自分ごととして考えてもらうために、神谷氏は今も様々な方法を模索している。
専門家のコメント2:遠藤美奈氏
民俗芸能研究者で沖縄県立芸術大学非常勤講師の遠藤美奈氏は、沖縄の民俗芸能がどのように継承されてきたかについて、沖縄県内から海外への移民まで対象を広げ、長年に渡り調査・研究してきた。昨年度までは沖縄県文化振興会に在籍し、離島地域の芸能継承に関する取り組みの支援などを担当。現在は引き続きそれらの取り組みにも関わりながら、各地での調査・研究にあたっている。かつての民俗芸能研究者の関心の中心は、沖縄独特の祭事の構造(供物や祝詞の手順、歌唱の旋律など)にあったが、今さらに議論されるべきは、祭事を迎えるまでの過程や、日々の中にある伝習、教習についてではないか、などと語った。
一言で民俗芸能の継承といっても、地域の共同体としてのルールや約束事がそれぞれ違うように芸能の継承環境も地域によって異なっている。地域で祀られている弥勒(ミルク)やその他の来訪神を、特定の血縁で継承してきたところもあれば、生まれ年の人を選出して行うところもある。遠藤氏は、他地域の芸能の様子を話す人たちの語りには、違和感を覚えることがあるという。
理由は、地理的に近い地域では同じ日に祭事が催される場合が多く、隣の村であってもその芸能を見ることは到底できない。後で映像を見る機会があったとしても、それだけでは継承の実態がすべてわかるとは限らず、映像として外側から見れば継承がうまくいっているように見える危険性もはらんでいるからだ。
一方で、ある地域で聞いた「自分の地域の芸能がどのような環境におかれているのか、周りの状況を見て確認している」という発言に、新しい視点に気付かされたと話す。つまり、自分たちの芸能は今が元気だからと言って安泰だと思っている地域はほとんど無く、いつか訪れるかもしれない自分たちの継承の危機の回避の仕方にアンテナを張っていて、継承の課題に直面した地域が、その後どのような対応をとったのかを他の地域は知りたいと思っている、と話した。
特定の地域だけで継承が完結しているのではなく、もっと広い文化圏のなかで相互に状況を確認し合って継承の共同体なるものを作り上げている。そのなかで、どのような対応を取るのかについては、それを「先見性」と言うことができるのではないかとし、今回の3件の報告事例は、いずれも先見性を持った取り組みであると語った。
「どこか一つの地域が新しい対応をすればそれがほかの地域にも波及し、ひいてはより広い環境に影響を及ぼすことがあるか」という質問に対しては、「あると思う。例えば、昨年の竹富町の芸能大会で古見の皆さんが演舞の前に、こういう課題があってこういうことに取り組んでいる、ということを話した。そのような発信によって、継承の課題への古見の対応策を他の地域の方が知り、他の地域の方が私に継承の課題について話してくれるきっかけにもなった」と答えた。
また、次世代への継承の必要性についても指摘する。八重山地区で行なわれた「少年の主張大会」で、盛大な豊年祭が行われることで知られる白保地区から参加した、ある子どもが、「私たちが大人になったときにあれだけのことをできるか自信がない」と話したという。子どもたちはすでに、自分たちが担い手にならなければと自覚する「後継者」であり、現在後継者と言われる世代よりも、さらにその下の世代である子どもたちに向けた継承の取り組みも必要ではないか。
最後に、音楽学者の徳丸吉彦氏が提起した「フィールドバック(研究者が、調査対象とした人々が利用できる形式にして研究成果を戻す行為)」という概念に触れ、現代において限られた時間の中で継承を可能にするためには、メディアを含め、今ある機会や時間、字誌や市町村誌に書き残された情報を今の人たちが活用できるように再編集する必要があり、その後それらが地域でどれだけ十分に活用できるか、といった視点が大事であると話した。
「フィールドバック」は民俗芸能の継承にとっても必要であり、「人から人への生の伝承を大前提として、地域に戻された研究成果の活用の仕組みを一緒に考える存在としても研究者を活用して欲しい」と締めくくった。
第2部 トークセッション ~取り組みから見えてきた課題と可能性~
後半は、林立騎チーフプログラムオフィサーが進行し、パネルディスカッションを行った。継承の根幹を改めて考える問いや、文化行政に期待することについて語られた。
林:皆さんの考えの中に「残さない」という選択肢はないということは重々承知の上ですが、「なぜ地域の芸能を残さなければならないのか?」ということをあえてお聞きしたい。
横目氏:ただいまの質問、却下したいですね。どうして残す必要があるのかということよりも、良いものだから残るんだと思う。どんなに努力しても、良いものじゃなければ残っていかない。初めて23歳で八重山古典民謡の世界に入ったときに、こんな素晴らしいものを自分一人のものにしてはいけない、一人でも多くの人に好さを伝えたいと思いました。
新盛氏:難しい質問ですね。私は、心の豊かさを求めて祭りをする、と思っています。先人が残してくれた、村の宝だから大切にしたいという気持ちです。
小池氏:先ほども申し上げたように、何のために祭事芸能をするのか端的にいうと、集落を支える人材を育成しているからだと思われます。印象に残った出来事に、竹富島の師匠が練習の時に、「とにかく呼吸を合わせなさい」と仰っていたことです。本番2週間前にもなると、細かいことはもういいので、呼吸を合わせなさいと。これについて竹富島郷友会の方が仰っていたのは、この島の人たちは、踊りの人材育成をしているようにみえるが、踊りを通じて呼吸を合わせることで、地域の人同士の呼吸の合わせ方を勉強しているのではないか?ということでした。
つまり、地域の維持・存続のために祭事芸能があると言えるし、そのためには、みんなで参加する必要があります。集落から外に出た人も、祭事の時には帰ってきて参加したいと思えるようになることが大事です。人口流出を、これ以上させないためにも、必要なものなのです。
林:日常的な社会生活を通じて多くの人が疲弊している今の時代に、これ以上現場を疲れさせてしまう文化振興ではよくないと考えている。例えば、芸能を応援するので、助成金のために大量の書類を書いてくださいとか、新しくイベントをやるので出演してくださいとか。わが身を反省するところもある。
そこで、文化行政や助成金についての率直なご意見や、文化振興のためのご提案をいただきたい。
横目氏:疲弊してしまっては元も子もないので、いかに楽しくやっていくかがカギ。子どもたちが楽しく継続するためには、感動体験や成功体験が不可欠です。私が行ってきた琉球芸能鑑賞会は、そのような体験ができる場となっています。
しかし、助成金制度とはいえ、3年間でノウハウを学んで自走化しなさいというのは、大変厳しい。簡単に企業からスポンサーがつかない今の時代に、どうにかならないかというのが正直なところです。
新盛氏:古見は小さな集落なので、補助金をいただけて、とてもありがたいです。しかし、補助金をいただいた後、資料作りが一番大変で、大きな負担になりました。私たちができない部分をサポートしてもらえたら、もっと色々なことに挑戦できるのではと思っています。
小池氏:私も疲弊しています。補助金を使う場合は、書類が大変というのはもちろんあって、ある意味やむをえないとも思うが、最も大変なのは、とにかく時間が足りないことです。
前年度から年間スケジュールを組んで調整しますが、なかなか予定通りにいかないこともあります。芸能関係者の気持ちをひとつの方向に向けて、前向きになってもらうのにはすごく時間がかかる。環境形成推進事業のように、6月に始まって2月に終わるというのは非常に短い。そして、次年度のことを同時進行で考えなければならないし… 人の気持ちを合わせるのに、あまりにも短いと感じています。
神谷氏:今ある地域芸能の課題を変えられるのは、41市町村それぞれの公務員だと思います。文化行政の専門家を配置することで、予算が余ったから文化に、ということではなくて、今の時代の公務に合わせていくことができます。そういった志のある若者が、例えば沖縄県立芸術大学の卒業生などが、市町村役場で活躍していくことを期待しています。
遠藤氏:地域に関わり、人と向き合うということは、大変な労力と時間がかかります。しかし、文化振興会や教育委員会など、文化にかかわる方々が、地域への関心を失わないことが重要だと思います。